2024年1月8日月曜日

連載エッセイ 11 推敲 2

   この当時バンデアコークが発表した論文 ( van der Kolk, B. A., & Fisler, R. (1995). Dissociation and the fragmentary nature of traumatic memories: Review and experimental confirmation. oumal of I'raumatic Strass, 8(4)、505-525.) に掲載されている図に私は惹かれた。それは脳の幾つかの主要な部位である前頭前野、視床、海馬、扁桃核等の部位の間が矢印で結ばれ、トラウマに関する記憶が作られる様子が示されていた。様々な感覚器から入力されて視床で統合された刺激や情報が、トラウマ的な性質を持つもの、すなわち驚きを伴い、恐ろしく、強烈な不安を呼び起こすものであった場合、それらは扁桃核を強く刺激し、それが通常の記憶をつかさどる海馬に伝わってその機能を低下させる。するとその情報や刺激は海馬を介さない特殊な記憶、すなわちトラウマ記憶を形成する。するとそれは想起しようという意図に従わず、勝手に、しかも強烈な感覚の再現を伴うフラッシュバックとしてよみがえる。もちろんこれはかなり単純化したものであったかもしれないが、PTSDの際に脳で生じることのエッセンスを言い表したものとっていい。

  ちなみにヴァンデアコーク(van der Kolk, 2014) が後になって出版した脳と身体とトラウマについてわかりやすく解説した本(「身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法  2016 紀伊国屋書店)は出版後たちまち世界的なベストセラーとなった。この本のタイトルがいみじくも示すとおり、トラウマはまさに脳を変え、そこに刻印されるのだ。

Bessel A. van der Kolk,BA (2014) The Body Keeps the Score - Brain, Mind,and body in the healing of trauma.  Penguin Books.( 柴田 裕之 (訳)身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法  2016 紀伊国屋書店.)


トラウマとは記憶の病理なのか


 トラウマと脳科学というテーマで始めたこの第11回目は、そこでカバーしておきたい内容を考えると、とても一回では語りつくせないという思いがある。この連載はその後に書籍化をしていただけるという可能性もあるという事なので続きはそちらに回すとして、分かりやすい概説的な話にとどめたい。

 トラウマ関連疾患と言われるものの中での典型例は言うまでもなくPTSDであるが、その症状の中でもっとも特徴的なのが、いわゆるフラッシュバックという現象である。フラッシュバックではトラウマが起きた時の恐怖や不安が動悸や発汗や手足の小刻みな振るえなどと一緒に蘇り、その時行なっていた動作や作業を中断してその場に頭を押さえて座り込んだりする。 トラウマ体験の際立った特徴は通常の記憶の中に意識の中に順序良く折りたたまれておさまっているのではないという事だ。それは何かのトリガーにより、あるいはなんの前触れもなく襲ってくる。こうなると日常生活を平穏に送ることが出来なくなる。今度はそれがいつ襲ってくるかが気になり、それに用心することに全エネルギーを注ぐことになる。トラウマを呼び起こすような映画を見れなくなり、人ごみにも出られなくなる。

 このようなトラウマ記憶の性質を考えた場合、私達は次のような問いを持ちたくなるだろう。

「トラウマとは要するに、記憶の病理なのだろうか?」

  事実トラウマにより引き起こされる精神的な障害としてPTSDがもっぱら想定されていたころは、トラウマとトラウマ記憶の存在はほぼ同義とされていた時期もある。おそらく1990年代までは世界の潮流はその考えに沿っていたといえるだろう。しかしそれ以降トラウマと呼べるべき状態にはそれ以外のものも含まれ、それぞれが異なる形で脳に不可逆的な変化をもたらしていることが分かってきた。こうして2000年以降、トラウマ記憶の形成以外に、新たに二つの出来事がトラウマの概念に組み込まれることになる。それが以下に述べる解離及び愛着の障害である。どちらもそれぞれ別の仕方で脳に不可逆的な影響を与えることになるのだ。