2024年1月23日火曜日

連載エッセイ 12の8

一回ごとに書いてみよう。 

1.私には脳科学はうさん臭かった

 この最初の回では、私は最初は脳科学を軽視していたと述べた。その私を変えてくれたのは、脳科学を特別視しないという米国の精神医学の風潮であった。どこかにも書いたが、彼らは一般人でも chemical imbalance という言い方を日常的に使う。例えばある人が「最近インフルに罹って抗ウイルス剤のタミフルを飲んでいたら、気持ちが落ち込んできたんだ」と友人に話して、「どうしたの?タミフルと落ち込みと関係があるの?」と聞かれたら、「よく分からないけれど、何か薬でケミカルインバランスが起きたらしいんだ。」「フーン・・・・」という会話があるとする。

 ここでいうケミカルインバランスのニュアンスは、「脳での化学物質の異常な働き」という感じであり、要するに心理的な問題ではない、という事を言っている。こころの不調で思い当たる原因がない場合に、私達は「なんとなく」とか「気のせいで」と考えるが、彼らは脳の物質レベルでの異常を考えるのだ。これはある意味では私たちのかなり先を行っていることになる。精神の障害をその人のせいにせず、物質的な基盤に原因を求めるというのは、きわめて「脳科学的」なのだ。

 そのせいもあってか、米国で出会った精神医療に携わる人たちは、驚くほどに薬物や脳に対する知識欲が高かった。心理士も看護師もソーシャルワーカーも、かなり詳しい知識を有していて、それを前提にして医師に質問を投げかけてくる。思春期病棟に勤めていたところ、ある若い患者さんの衝動をコントロールする目的で、リスパダールを0.5㎎処方してみたら、すぐに担当の心理士から「あの子にメジャートランキライザーを使うなんて、どういうことなの?」と質問が飛んできた。私はそれらの質問に納得のいくような答えを用意しておかなくてはならないのだ。日本に居たらとても考えられないことだ。

 精神科医として働くためには脳についての質問に答える用意をする必要のある、つまり「説明責任 accountability」 を常に求められる米国に比べ、日本はまるでぬるま湯、という気がする。アメリカでは薬のプロパーさんが日替わりで新薬の説明にクリニックにやって来ていた。ランチを提供してくれるので、私達は毎日のように昼になると地下のホールに出向いたものだ。このことは結構大きな影響を与えてくれた気がする。