愛着の障害-記憶を超えたトラウマ
この愛着とトラウマを脳のレベルでとらえた人物としてはアラン・ショアをあげることが出来るだろう。アランショアはUCLAの精神科で活躍する心理学博士(80歳)。精神分析、愛着理論、脳科学を統合する学術研究を発表している。特に「愛着トラウマ」の概念が知られている。欧米には関連領域について縦横無尽に研究をし、論文を発表する怪物のような人がいるが、アランショアもその様な人である。だから彼の理論を学ぶことは、精神医学、精神分析、脳科学、愛着理論のすべてを総合的に考えることが出来るという機会を与えられることになるのだ。
ショアが特に強調したのは、愛着関係が成立する生後の一年間は、乳児はまだ右脳しか機能をはじめていないという事である。脳科学の発展とCTやMRIなどの画像機器の進歩は手を携えているが、後者は脳の機能はその成長に大きな左右差があるという事を示している。
右脳は情緒的な反応、対人交流、共感等の機能を備えているが、それが大幅に成長するときに必要なのは母親との交流であり、そこでは母子が目を見つめ合い、情緒的なやり取りを行うという機会である。それにより右脳は耕され、開拓されていくという側面がある。右脳の機能が促進されると、乳児は母子一体となり、安全で満ち足りた状態となり、それは更なる右脳の機能の成熟、そして二歳半以降の左脳の成長へと繋がっていく。
しかしその乳児の脳機能は、時々訪れる交感神経系の嵐によりしばしば一時に中断されることになる。それは授乳が行われずに空腹に晒されたり、触覚的な心地よさや温かさ、柔らかさが提供されなかったり、おむつを替えてもらえずに不快を感じ続けたり、外界からの過剰な刺激や見知らぬ人物からの脅威にさらされるといった、あらゆる生命体がその生存に際して直面する危機である。そしてそれらの不快から乳児を救い、必要なものを提供し、もとの満ち足りた状態へと導く母親の介入により、右脳の機能が取り戻され、その成長を継続することが出来る。
ここでもしその様な愛着関係が提供されなかった場合、右脳はいわば耕作を放棄された荒れ地として残されてしまい、乳児は他者と関係性を持ったり、自分自身の自律神経機能を安定させたりする力をそれ以上成長させることなく、知性や理屈といった左脳の機能のみに頼った人生を歩まなくてはならない。そしてこのような形での養育の欠如もまた、トラウマなのである。なぜならそれは先ほどの定義の通り、「外的な要因により傷つけられることであり、それがのちの心の成長に不可逆的な影響を与えること」だからだ。しかしこれはあくまでも乳児が記憶を成立させる前に生じる出来事であり、トラウマ記憶なきトラウマという事が出来る。