このことから得られる教訓は、心的トラウマは器質的なトラウマとは別であり、それは脳に対する直接的な外傷によっては還元できない機序で生じることだという事である。しかしこのように言うと、私が先ほど行なった「トラウマの生じる場所は脳だ」という主張と食い違っていると思われるかもしれない。そこでこう言い直そう。トラウマの生じる場所は脳だと言っても、おそらくそれはミクロスコピックな、つまり顕微鏡レベルでしかわからないような微細な脳の変化を意味するのだ。脳全体が砲弾などにより振動したから其れが生じると言う、おおざっぱでマクロスコピック(巨視的な)変化を意味するわけではない。
ここで読者をこれ以上混乱させるつもりはないが、最近脳全体が砲弾などの爆発によるある種の衝撃波を受けて異常をきたすというケースについても研究がなされるようになっている。つまりシェルショックは実はまんざら間違いではないケースもあるという事を意味している。このように一度は否定された理論がその後の研究により息を吹き返すという現象は、私達を混乱させるが、私自身は実に面白いと思っている。要するにいかなる理論や学説に付いても鵜吞みにするべきではない、常に例外の可能性を考えよ、という事を伝えているのだ。
臨界状況としての脳
トラウマの生じる場所は脳であるというテーゼ、ないしは主張は、脳科学の時代とも言える現代ではさほど違和感を感じることなく受け入れられるかもしれない。そして本書で以下に述べるように、トラウマにより脳は実に様々な変化を被るのだ。しかしそのことはほんの半世紀前は、決してすんなり受け入れられてはいなかった。心はもっと柔軟であり、様々な出来事に対応できるはずであり、心に大きな衝撃を与えられたとしても、それが脳のレベルでそれほど大きな変化を与えることなど考えられない、というのが大方の予想だった。トラウマによりPTSD等の反応を起こす人はごく一部であるから、その人の脳にはもともとなんらかの欠陥があったのではないか、と考える傾向の方が強かった。つまりPTSD症状を呈するのは、その人のせい、その人の自己責任、という考え方の方が主流だった。戦争や性被害はそれこそ人間がこの世に生まれてから常に存在していたはずなのに、今になってそれが取り上げられたのは常にトラウマの脳への深刻な影響が考えられていなかったからである。