2023年12月21日木曜日

ウィニコットとトラウマ 8

 ウィニコットが実際に解離のケースをどのように扱ったかについては議論が多いであろう。ただし私は彼が 「遊びと現実」(1971)の中の「男性と女性に見出されるべき、スプリットオフされた男性と女性の部分」(p.72∼74) で紹介しているのは、事実上DIDのケースと言っていいのではないかと思う。そこでの彼の記述を抜粋してみよう。
「患者は中年の既婚の男性であった。・・・彼は数多くの分析家と長い間治療を行ってきた。・・・しかし彼の中の何かが分析を終わらせなかった。・・・今この時期に新しいことが起きていた。・・・金曜日のセッションで、患者はペニス羨望の話をした。私は「女の子の話を聞いていますよ。あなたが男性であることはよく知っていますが、私は女の子の話を聞き、そしてその女の子に話しかけています・・・」すると患者は「誰かにこの女の子について話したら、私は狂っていると思われてしまいます。」
これに対してウィニコットは「私との転移の中で、狂っているのは私の方です。あなたが私に投影している母親は、あなたが生まれた時に、あなたを女の赤ん坊として扱っていたからです。」と解釈をした。患者は「これで狂気の環境の中で、私は正気だと感じました。・・・ 私自身は自分を女の子だとは呼びませんが、…あなたは私の二つの部分に話しかけてくれたのです。」
ただしこの症例の中でウィニコットは患者が女の子の人格を持つに至った経緯を解釈しているということが出来るだろう。すなわちそれは母親が持っていた狂気、すなわち男性の患者が小さい頃に妄想の中で女の子として見なしていたせいであると考えたわけである。

本発表のまとめ
 最後に本発表の骨子をまとめてみよう。ウィニコットの関心は恐らく初期から、発達トラウマがいかに生じ、それをいかに取り扱うかに向けられていた。
 しかしおそらくウィニコットのトラウマや解離の概念はその晩年に最終的な形にまで練り上げられたのである。そして彼は最晩年になり、精神分析においては愛着期のトラウマや解離が主要テーマとなるべく革命 revolution が起きるべきであるとまで言ったのだ。
 そして彼は最晩年の論文「ブレイクダウンの恐れ」において、トラウマ(ブレイクダウン、母子関係の破綻)はそれがすでに起きたがまだ体験されていない出来事である。それは抑圧の成立する以前の解離の病理と言えること。トラウマは、転移の中で治療者の失敗を通して体験され、扱われること。解離は凝集する前の部分が親の仕返しや狂気によりスプリットオフされるという事により生じること。そしてその部分は治療者により目撃され、扱われなくてはならないという事を強調した。