ウィニコットと解離の概念
ウィニコットの晩年のトラウマ理論としてとり上げるもう一つの素材は、最晩年の未公開ノート(1971)からである。そしてこれはウィニコットが持っていた解離に関する考えを示しているものと思われる。
その冒頭でウィニコットは次のように言う。
「私は私たちの仕事について一種の革命 revolution を望んでいる。私達が行っていることを考えてみよう。抑圧された無意識を扱う時は、私達は患者や確立された防衛と共謀しているのだ。しかし患者が自己分析によっては作業出来ない以上、部分が全体になっていくのを誰かが見守らなくてはならない。(中略)多くの素晴らしい分析によくある失敗は、見た目は全体としての人seemingly a whole person に明らかに防衛として生じている抑圧に関連した素材に隠されている、患者の解離に関わっているのだ。」(Winnicott, quoted by Abram,2013, p.313,下線は岡野)
ここでもウィニコットの過激さが目立っている。抑圧された無意識を扱うことはすなわちフロイト以来の伝統である。しかしそれに対して彼は革命をもたらそうとしている。ある意味ではフロイトに真っ向から反旗を翻すことになる、と考えるのは私の持っているバイアスだろうか。
この文章ウィニコットはもいちいちフロイトの概念との違いを強調しているように見える。そしてここでウィニコットの持つ心の発達モデルが示され、これが解離とどのように結びつくかが伺える。すなわち解離とはこの凝集されずに残った部分に関連するのであろうか。
ところで心の断片は内側から外側に凝集していくという意味を考えると、それはあくまでも乳児の側からの凝集であり、外側の、母親の侵害に合わせた価値での偽りの自己としての凝集とは異なるという事が分かる。