2023年12月18日月曜日

ウィニコットとトラウマ 5

前回話題に上ったのがこの本(Abram, J. ed. Donald Winnicott Today, Routledge, 2013.)である。

今回は晩年のウィニコットのトラウマ理論である「ブレイクダウンへの恐れ Fear of Breakdown 」(1974) についてである。
 これはウィニコットの死の直前に書いたものであるが、どこにも掲載されずにいた。そして奥さんのクララがその発表に関与した論文である。ウィニコットがその発行に思いを寄せていたInternational Review of psychoanalysis 誌の創刊号に掲載されることになった。この論文には晩年に彼が考えていたことを濃縮した形で著した論文と言え、ここで彼が書いていることもかなり過激である。ウィニコットは言う。「最近になり、ブレイクダウンへの恐れへの理解についての新たな理解に至った。ブレイクダウンとは防衛組織の破綻を意味する。それは考えることのできない状態である。要するに累積外傷をどう治療するかという事について、それは従来の分析とは異なるという主張をしようとしている。ここでフロイトはブレイクダウンの意味として、「防護壁」というフロイトが用いた概念を踏襲しているが、実際にはブレイクダウンとは母子の絆の破綻という事を意味している。
この論文でウィニコットが述べていることを幾つか取り上げてみよう。
「発達は促進的な環境により提供され、それは抱えること holding、取り扱うこと handling、そして対象を提供すること object-presenting へと進む」(p.104)。そしてこの中でも彼が最も注目するのが、最初の「抱えること」により成立する「絶対的な依存」についてである。ここにおいては、母親は補助的な自我機能を提供するが、そこでは赤ん坊においては me と not-me は区別されない。その区別は me の確立なしにはできないのだ。」
 ここでウィニコットが描いている世界は実はきわめて深遠で、そしておそらく言葉では表現が出来ない世界である。何しろ乳児は母親に抱えられていながら、自分と母親の境目を知らない。つまり本当の意味で母子一体となっていることになる。そしてその母親とのきずなが断たれた状態は、おそらく乳児にとっては何が起きているのか考えられないもの unthinkable )(p.104)。である。それをウィニコットは原初的な苦悩 primitive agonyと呼び、次のように表現している。すなわちそれは「不安どころではないもの anxiety is not a strong word」、
そしてさらに具体的に解説する。すなわち原初的な苦悩 primitive agony において起きる事とは・・・・。
①「未統合の状態への回帰(防衛としての解体 disintegration)」 (この詳しい意味は、ウィニコットの未統合から統合に至るプロセスの理解が必要である。しかしともかくもここで言い表されているのは、絶対的依存期においてそれまでバラバラであった自己が統合しかけていたプロセスが、逆戻りしてしまうという事を表している。ただそれは単なる逆戻りというよりは、解体という一種の防衛として描かれているという事だ。つまり単純な逆戻りというよりは積極的にバラバラになるプロセスを指す。つまりA+B+Cが、Dに統合されかけていた際に、、それが単にAとBとCに戻るというよりは、D1.D.2.D.3という風にバラバラになるという事を意味するのかもしれない。
②「永遠に墜ちること(その防衛としての、自分で自分を抱えること)」 これはまさに母親に抱えられていないことに直接的に由来していると言えるだろう。この頃の乳児はそれこそ宇宙と一体となっている大洋感情に似た体験を有しているのであり、その限界を与えているのはおそらく外的な存在としての母親の手であり、体であろう。その存在がなくなることで乳児が自分で自分を抱える事とは、例えば自己刺激等があるのだろうか。
③「心身的な共謀を失うこと」原文では psychosomatic collusion であるが、この意味は私には不明と言わざるを得ない。
④「現実感覚がないこと」(p.104)。そして結果として乳児は現実感覚が得られない、いわば離人症的な体験を持つことになるとされる。