2023年12月15日金曜日

ウィニコットとトラウマ 3

 さてウィニコットのトラウマ理論については大きく二つの時期に分けて論じることにする。まずはウィニコットの弟子のマスッド・カーン(1963)により概念化された累積外傷 Cumulative Trauma 理論に表されるものである。これはすなわち乳児の絶対的依存の段階において「母親の防護障壁としての役割が侵害されること」という事とされている。
 そしてさらには晩年のウィニコットが深化させたトラウマ理論が極めて興味深く、本発表の主たるテーマとなる。
(Kahn M. (1963)The Concept of Cumulative Trauma)
 ウィニコットの作品の集大成である「遊ぶことと現実 Playing and Reality」(1971)に収められている「子供の発達における母親の鏡の機能 Mirror-role of Mother and Family in Child Development にその要旨が書かれている。ただしその意図はあまりわかりやすいとは言えないだろう。
「(乳児が自分を見出す)鏡の前駆体は母親の顔である。・・・しかしラカンの「鏡像段階(1936)」は母親の顔との関係を考慮していなかった。」(p.111) これは比較的わかりやすいだろう。そして彼がラカンを意識していることが興味深い。
「最初は乳児は母親に抱えられて全能感を体験するが、対象はまだ自分から分かれていない。」(p.111)
「乳児は母親の顔に何を見出すのか?それは乳児自身なのである。母親が乳児を見つめている時、母親がどの様に見えるかは、彼女がそこに何を見ているかに関係するのだ。」(p.112)
この二つの引用には私たちは戸惑うかもしれない。母親が乳児の顔を映し出す、というのは分かるが、その乳児にとっては対象は存在していない。という事は目の前の顔が母親(自分とは異なる他者)としては認識されないという事になる。そして母親の顔は自分であるという体験を乳児は持つというのだ。そしてその役割を果たす母親と言えば、恐らく原初的な没頭により、自然と乳児の顔をまねているのだ。おそらく現代的な知見を得ている私達なら、ミラーニューロンの関与をそこに見出だすかもしれない。そしてウィニコットは言う。「私の症例では、母親は自分の気分を、さらには自分の硬直した防衛をその顔に反映させる。」「その様な場合赤ん坊は母親の顔に自分自身を見ることが出来ないのだ。」(p.112)
 つまりそこに自分の感情を提示する母親はその愛着関係の成立を阻害する可能性があるのだろう。これは精神分析の文脈に引き付けるのであれば、逆転移の表現、ないしはウィニコットの言う「報復」の表れと言えるかもしれない。
 ちなみにこのウィニコットの提起した「母親の鏡の役割」は愛着理論における情動同調 affect attunement やメンタライゼーション理論に継承されていると言えるだろう。養育者によるミラーリング(乳児の情緒をまねること)は子供の自己発達において鍵と考えられている。 (Meltzoff, Schneider-Rosen, Mitchell など)
 メンタライゼーションを提唱するフォナギーにとってもこの文脈は非常に重要な意味を持つ。鏡の役割の不全は乳児に深刻な問題を起こすからだ(偽りの自己、よそ者自己などの概念により理論化されている。)