ウィニコットとトラウマ 2
さて私のこの発表の要旨を述べるならば、以下のようになる。ウィニコットの関心はフロイトの無意識、抑圧、死の欲動などの概念から離れ、幼少時における養育者との間に生じるトラウマ(「愛着トラウマ」、A.ショア)や解離へと向けられていった。ウィニコット理論は基本的にトラウマ理論として読むことが出来るであろう。この見方は私にとってはごく自然なのであるが、みなさんにとってはあまり馴染みがないかも知れない。というのもこの見方はかなりフロイトに対する挑戦的な態度というニュアンスを与えるからだ。しかしウィニコットの文章をこの文脈で読めば読むほど、彼が様々な表現の仕方を用いて、フロイトの向こうを張ってる、特にフロイトのリビドー論に対するアンチテーゼを唱えているように読めるからだ。そしてそれは特に今日お話する彼の晩年における著作に多く見られるように思えるのだ。一言でいえば、ウィニコットは、それを様々なレトリックで覆い隠してはいるものの、かなり尖った、反抗心に満ちたものであったのである。
ところで今示した要旨の中に出てくるアランショアについて、今日は詳しくお話する機会はないが、簡単に紹介しておこう。アランショアはUCLAの精神科で活躍する心理学博士(80歳)。 |
アラン・ショア(1943~) |
精神分析、愛着理論、脳科学を統合する学術研究を発表している。特に「愛着トラウマ」の概念が知られている。欧米には関連領域について縦横無尽に研究をし、論文を発表する怪物のような人がいるが、アランショアもその様な人という印象を私は持つ。そして彼が持つスピリットは、少なくとも私の中では、ウィニコットと共通しているのだ。つまりかなり尖っているのである。ただし彼が広い流れの中で属していると考える関係精神分析はそれそのものがとがっていて、アンチフロイトなので、それはごく自然な事とも言えるのであるが。
それを示すようなウィニコットの言葉を引用したい。「満足な早期の体験を持てたことが転移により発見されるような患者[神経症の患者]と、最早期の体験があまりに欠損していたり歪曲されていた患者[精神病、ボーダーラインの患者]を区別しなくてはならない。分析家は後者に対しては、環境におけるいくつかの必須なものを人生で最初に提供するような人間とならなくてはならない。」
Winnicott (1949) Hate in the Countertransference.(憎しみと逆転移) p.198.
どうであろうか。この発言の過激さは伝わるだろうか。しかもこれを1949年の段階で行っている。(といってもフロイトは10年前に亡くなっているのだが。)フロイトは神経症の患者について扱った議論を展開したわけだが、私は最早期の欠損を持った患者を扱う、と言っている。そしてそれは単なる理論的なすみわけ以上の何かを示している。後に示す文献によれば、彼は「多くのすぐれた精神分析が失敗している理由」としてこの後者に関する見落としを挙げているからだ(後述)。