色々なところに書いたものが溜まってきたので一つにまとめておく必要がある。あわよくば関連論文をまとめて本にする計画だ。まずはどうにも本の一章のしようにないような、単発なもの。コロナ全盛の頃の文章だ。
コロナと心理臨床
京大事例紀要 2021年度 巻頭言
コロナ禍における臨床を余儀なくされるようになってから久しい。すでに昨年のこの事例研究の巻頭言において、西見奈子准教授は書いている。「今年がこのような年になるとは、だれが予想したであろうか?」そしてその予想しなかった状態は、一年経った今も継続しているのだ。この春から始まったワクチン接種が今後普及することにより将来に多少の明かりは見えているのかもしれない。しかしこの災厄の終息の目途はいまだに立っていないのだ。この間に私たちの心理臨床のあり方も様変わりしている。一年以上もこれまでのような対面のセッションを持つことができていないケースもあるかもしれない。
このように新型コロナの蔓延は間違いなく私たちにとっての試練となっているが、試練は私たちから様々なものを奪うばかりではなく、新たな体験の機会も与えている。コロナの影響下にある私たちがどのように臨床を継続できるのか、どのように継続していくべきかという問題は、おそらく世界中のセラピストたちがこの一年半の間に直面し、そこから大きな学びの体験をも得ているはずだ。その結果としてセラピストの多くはそれぞれが創意工夫のもとに対応を行っているのである。
私たちの日常臨床を変えたものの一つが、電話、ないしオンラインによるセラピーの活用の可能性である。ソーシャルディスタンシングの重要性が強調される中で、セラピストとクライエントが面接室という密室の空間を共有することは、それ自体が感染のリスクを高めるのではないか、という懸念は、このコロナ禍が始まって当初に私たちが持ったものである。昨年4月に初めて七都道府県に緊急事態宣言が出された折は、対面による面接を全面的に中止した相談室も多かったであろう。すると残された手段は電話ないしオンラインということになる。そして当面はセッションを持たないよりは、それらの代替手段を用いることを実践したセラピストも多く、その機会に改めてオンラインによるセッションの持つ意味を考え直すことになったはずだ。
私たちの多くはそのような機会に、実はコロナ禍の始まる前から、オンラインを治療の主要な手段として用いる試みが始まっていたことを知ったのではないか。よく挙げられる例として、2000年代の初めから、中国とアメリカの間でもっぱらオンラインによるトレーニングを行っている団体がある。CAPA(The China American Psychoanalytic
Alliance,米中精神分析同盟)という組織で、2001年にElise
Snyderというアメリカの分析家が中国の北京と成都に招かれたのが始まりであるという。その後米国と中国の関係者が協定を結び、それに北京と西安のメンバーが加わった。さらに成都の分析家たちがアメリカの分析家たちに、オンラインでのトレーニングを申し入れ、コロンビア分析協会のDr.Ubaldo Leli がそれを受け入れ、事実上CAPAが始動したことになる。2008年には2年のコースが作られ、現在では400人の生徒と卒業生がCIC(CAPA
IN CHINA)という団体を構成しているという。(http://www.capachina.org.cn/capa-in-china より。)
ZOOMやskypeなどによるオンラインの体験で私自身が一つ学んだのは、実際に人と対面した時の存在感
(presence、プレセンス)とオンラインでのお互いの存在感(telepresence,テレプレゼンス)違いである。オンラインでは同じ地理的な空間を共有していないにもかかわらず、傍にいるように感じるという矛盾した体験が可能になる。それはこれまで慣れ親しんでいた対面でのセッションに置き換わる手段となりうるのだろうか? それとも結局はそれの出来損ないの代替物poor substitute に過ぎないのだろうか?
もちろん対面に勝るものはないと考えるクライエントがいて当然である。しかし複雑なのは、オンラインの方がより抵抗なくセラピストと出会える、という一部のクライエントの存在である。そしてセラピストもオンラインにより新たな自由度を獲得したと感じる場合があるかもしれない。その場合はコロナ禍が去った後もオンラインを継続するべきなのだろうか?それともそれはより生きた接触を互いに回避するためのセラピストとクライエントの共謀を意味するのだろうか?
以上の問いにはおそらく正解はないのであろうが、考えあぐねた末に私自身が至った結論は、対面による存在感プレゼンズ、すなわち対面による存在感と、テレプレゼンス、すなわちオンラインによる存在感は別物であるということだ。それらはどちらが優れているという問題ではなく、互いに異なり、それぞれの長所と短所を持っているということである。そしておそらくどちらを今後選ぶかはセラピストとクライエントが様々な要素を勘案して一緒に決めることである。それらの要素の中には、時間的、経済的な利点も当然含まれるであろう。
一つ言えることは、私たちは今後このようなパンデミックに見舞われても、少なくとも出来損ないのバックアップは手にしていることである。私たちはこの文明の利器に感謝すべきではないかと思う。