2023年11月21日火曜日

カップルセラピー その6

 以前にも少し書き始めたものである。

婚姻関係のナチュラルヒストリー

 私にとって結婚生活は謎に満ちているが、もっとも不思議なことは何かと言えば、配偶者はこれほど身近な存在でありながら、ほとんどのケースでお互いに関心を持たず、またお互いの言葉は響かなくなっているという事である。しかしそれでも身体的には(性的な意味ではないとしても)親密であり、寝室を共にしていたり互いの前で着替えをしたりということが普通になっている。このパラドクスは非常に興味深い話である。

 どうして夫婦はお互いの存在に関心を示さなくなるのか。最初はあれほど関心を向けた対象であったにもかかわらず、である。その最大の問題は、与えられているものの有り難さが分からなくなるということである。この性質がある限り、人は決して幸せになれない。これを第一の原則としよう。

原則 ① 配偶者により与えられるものの多くは早晩相手にとってはあたりまえ、すなわち「定数」化する。

 例えばあるカップルが知り合い、関係を深め、ついに結婚したとしよう。夫の方は温厚で女性に暴力を振るうことのない穏やかな性格。奥さんの方はきれい好きでとても料理が上手いとしよう。そしてそれらの長所はお互いにとても大きな意味を持つ。夫の方は、家の中がいつもピカピカで、美味しい手料理が食卓に並ぶことにとても満足をしている。彼の実家では母親があまりキレイ付きでなく、家の中はいつも散らかっており、また共働きの両親は不在がちで、食事を自分で調達するということはざらだったために、彼女のきれい好きで、料理が上手だという長所を非常にありがたく感じていた。また夫の男性の温厚さは、妻にとっては家の環境がとても安全で心地よいものにしてくれる為に、とてもありがたかった。というのも妻の方はその実家では酒に酔った父親が常に暴力を振るい、とても安全な環境と言えなかったからだ。

夫の方はいつも身ぎれいにしていて、しかもお金を無駄使いしない奥さんについて、こんなに素晴らしい配偶者はいないだろう、くらいに思う。

 そして結婚して月日が流れていく。しかし徐々にそれらの性質は「定数」になる。夫にとっては奥さんがいつも部屋の整理整頓をしてくれるのは当たり前になる。また妻にとっては、夫が暴力を振るわないのは当たり前のことになる。

この原則に従わない人、相手にしてもらうことに毎回感謝の念を抱くような人というのはむしろ例外的であろう。具体例としては次のような場合だ。部屋をきれいにしてくれるたびに、夫は自分の子供時代に過ごした家の乱雑さが思い出され、「何と自分は幸せだろう」と実感するかもしれない。つまりそれが一種のトラウマとして繰り返し思い出されるために、妻のきれい好きのありがたさを常に感じるのである。あるいは職場の同僚が「うちのカミさんはいつも家の中が散らかり放題だ」という話を聞いて、「何と自分はラッキーだ」と思う場合等も考えられる。また夫の穏やかな性格を有り難いと思う妻は、例えば幼少時には学校から帰宅するときに、安全地帯に帰るという実感を持てなかったとする。すると常に体験が思い出され、暴力のない家庭を有難く思うだろう。しかしそのような場合はむしろ例外的であるというのが私の主張である。