報酬系が焼け焦げるとなぜ苦しいのか
以上に示した通り、報酬系を全開にしているうちに、VTAのドーパミンニューロンの興奮の度合いも減り、側坐核のドーパミンの受容体も減少するのだ。そしてこれは実に困った事態を引き起こす。その人は慢性的な苦痛を味わうようになるのである。なぜだろうか?
実は私達はVTAからのドーパミンニューロンが、常にある程度のレベルで興奮することで、通常のやる気や満足感を保っているのだ。言うならばドーパミンというコップはある程度満たされていることで、普通に生活できる。ところがこのレベルが低下してしまうと、幸せ感が減り、うつ状態のようになってしまうのだ。
この件については、実は前回の連載で伏線を張っておいた。引用しよう。
「ところでこの実験にはもう一つ重要な見どころがあった。それは緑信号を見せた後にサルにシロップを与えなかった場合に起きたことだ。その場合サルは期待を裏切られたことになるが、その際はドーパミンの興奮がいわばマイナスになり、サルは著しい不快を体験することになる。(発火パターンの下から三番目。この意味は次回にでも説明することになろう。)
「ドーパミンの興奮がマイナスになる」という言い方はその文脈では意味不明だったのだ。なぜならサルはシロップが与えらえることを予告する緑信号を見た時でないとドーパミンが出ないという書き方をしていたからだ。ドーパミンの興奮が「マイナス」というのは意味をなさなかっただろう。しかし実はドーパミンニューロンの興奮は常に一定程度は起きていていたのである。するとドーパミンニューロンの興奮も受容体の数も低下すると、ドーパミンのコップが空っぽに近くなってしまう。これは実に苦しい体験だ。
もちろん焼け焦げ状態でも報酬系は快感を催すような刺激には反応する。美味しい食事をしたり、ツイッターで「いいね」が沢山付いたらそれなりに嬉しいはずだ。しかし壊れた報酬系はほんのわずかしか反応してくれない。慢性的な苦しみをほんの少し和らげてくれる程度だ。そして唯一の救いが、報酬系を焦がした原因の物質、例えばコカインなのだ。しかしそれによる反応も鈍ってしまっているから、さして気持ちもよくなくなってしまう。
さてこの焼け焦げた報酬系はそのままであるかと言えば、そうでもないことが知られている。収監されてコカインを吸入する手段がなくなり、報酬系はゆっくり修復されていくのが普通だ。コカインを絶たれた「潰れ」の時期を経て、彼は徐々に人間らしさを取り戻していくだろう。そして差し入れてもらった本にも興味を示し、食事の時間が待ち遠しくなる。その人の報酬系は、興奮の度合いも受容体の数も回復されていく。彼の報酬系は一見普通に戻ったように見えるかもしれない。では彼はしばらく嗜癖薬物から遠ざかることですっかり薬物から解放されたのであろうか? 否、である。其処に立ちはばかるのが「渇望」という魔物なのだ。