2023年11月8日水曜日

連載エッセイ 10の5

 報酬系が焦げ落ちるプロセス

 ここからは少し込み入った話になるが、報酬系におけるドーパミンニューロンの異常がどのように嗜癖に繋がるかを理解する上では避けて通ることが出来ない。そこでは報酬系が過剰な快感により一時的に、あるいは永続的に機能不全に陥るという事態が生じるのだ。(焦げ落ちる、というのはショッキングな言い方だが、その意図も以下の説明で理解していただけるだろう。)

 前回の連載でお示しした報酬系の図を思い出していただきたい。VTA(腹側被蓋野)から延びるドーパミンのニューロンが興奮すると、その興奮の強さに応じて側坐核のシナプスにドーパミンが放出され、それを受け取る側の側坐核のシナプスにあるドーパミンの受容体がそれを受け取る。これが快感として体験される。ここでドーパミンニューロンの興奮の強さも、ドーパミンの受容体の数も、普通は一定に保たれている。そしてそこで体験されるその快感の大きさは、いっぺんにどれだけ多くの受容体がドーパミンを受け取るかにかかってくることが知られている

 と、ここまではいい。ところが何らかの理由で強烈な快感を、それも何度か繰り返し体験すると、この報酬系の構造が壊れてしまう。具体的には次のような二種類の異常が起きることが知られている。

① 同じ刺激によるドーパミンニューロンの興奮が低下していく。

② ドーパミンの受容体の数が減ってしまう。

なぜこのような事態が起きるのかは詳しくは知られていない。ただ私たちの体は、普通は生じないような強烈な快感にはそれを異常として察知し、快感の度合いを正常値に保つためにこのような変化を起こすのである。そしてこれがいったん起きると、正常に復するにはかなりの時間がかかることになる。私が焼け焦げる、という表現を使う理由はそれである。


以下はしつこい説明部分なのでおそらくボツにするが、一応載せておく。  

 ドーパミン受容体を、風力発電に用いる風車に例えよう。そしてVTAから延びるドーパミンニューロンの興奮を、風車に向かってあなたが吹き付ける息の量だとする。すると発電される量は、同時にまわった風車の数により決まることになり、それはあなたの息の量を反映することになる(ちなみにそれぞれの風車は、吹きかけられた息の強さ如何にかかわらず一定のスピードで回るものとする。つまりここの風車の電力のアウトプットは一定なのだ)。

  ここでいかに強い快感を得られるかについて考えてみる。実際に風力に相当するのはVTAのドーパミンニューロンの興奮の強さという事になるが、それは具体的にはどれほど急激に嗜癖薬物(例えばコカイン)の血中濃度が上がるかによることが知られている。例えばクラックコカインのように、煙で吸って肺胞を通じて血中濃度が一気に高まるときに、VTAのニューロンは最大に興奮し、それにより最も強烈な快感を生む。もちろんそれは一時的な快感だが、その強烈さが一気に嗜癖を生むことが知られている。(たばこの嗜癖性もまた、吸い込んで肺胞から吸収されたニコチンが一気に脳に達するからだ。)

 ここで風力が大きくなればなるほどたくさんの風車が回り、それだけ多くの電力が生まれるようなことが生じるのであれば、こんなに有難いことはない。快感の大きさも無限になるからだ。しかし実際の脳ではそれは起きない。薬物の血中濃度が上昇するスピードには限界があるだろう。それに側坐核のドーパミンの受容体の数にも限度がある。そこで人間が体験することのできる快感には上限があることになる。生まれてクラックを用いた際の快感が体験した快がそれに相当するのだろう。それ以上の快感は体験しえないことになる。(逆に痛みについて考えても面白いが、ここではまず快の方についてだけ考える。)

 さてもしこの仕組みがこのままだったら、W=Lはそのまま成り立つことになる。あるパケの10分の一の量で絶頂を体験したら、次回もまた同じ量で同様の絶頂を体験するだろう。これで問題はないはずだ。風車だって同じだろう。ところが多くの風車のフル回転を繰り返していくうちに二つの問題が生じる。(実は嗜癖ではほかにいくつものことが起きるわけだが、とりあえず主要な二つに限定しておく)。

 一つは風車が抜け落ちていくのだ。つまり同じ息の大きさでも回る風車の量が減ってしまう。おそらく通常起こされる電力は大体決まっているので、この発電所を管理している当局が「風車はこんなに要らないみたいだね」と勝手にいくつかの風車を撤去してしまうらしいのだ。

 そしてもう一つ、あなたの息の強さが失われていく。おそらくあまりにフーフーと強く息を吹き続けたので体力が消耗してしまったのかもしれない。あるいは例によって当局があなたの息の強さを「そんなに強く吹かなくても適切な電力はまかなえるだろう」と勝手に調節してしまう。どうやら当局は、生存にとって最もふさわしい電力というのを知っていて、それを超えた電力については異常を取り締まるらしいのだ。これがいわゆるシナプスの下向き調節 (downregulation, 略してDR)という現象である。