さてこの最早期にウィニコットが考える母親の機能とは、鏡の役割であるという。そのことは彼の名著「遊ぶことと現実」に「母親の鏡としての役割」と題して記載されている。(Mirror-role of Mother and Family in Child Development. in Playing and Reality, 1971.)
その中で彼は言う。
「(乳児が自分を見出す)鏡の前駆体は母親の顔である。・・・しかしラカンの「鏡像段階」は母親の顔との関係を考慮していなかった。」(p.111)
「最初は乳児は母親に抱えられて全能感を体験するが、対象はまだ自分から分かれていない。」
この論文が当時ラカンにより書かれた鏡像段階に関する論文を意識して書かれたものであるという点は興味深い。(そしてラカンとの関心の広さや方向性の違いもまた面白い。)そこでウィニコットはちょっと謎めいたことを言っている。それは母親は乳児を映し出す、という事だ。
「乳児は母親の顔に何を見出すのか?それは乳児自身なのである。母親が乳児を見つめている時、母親がどの様に見えるかは、彼女がそこに何を見ているかに関係するのだ。」(p.112)
(Mirror-role of Mother and Family in Child Development. in Playing and Reality, 1971.)
ウィニコットは続けて言う。
「私の症例では、母親は自分の気分を、さらには自分の硬直した防衛をその顔に反映させる。」「その様な場合赤ん坊は母親の顔に自分自身を見ることが出来ないのだ。」(p.112)
この概念は分かりづらいが、それは彼が言葉や記憶以前の世界を描いているからであったと考えられる。ともかくも、母親が子供を、ではなく自分を反映するという言い方は、シンプルに母親が鏡の機能を果たさないのであれば、と言い換えることが出来る。そしてこのウィニコットの提起したこの「母親の鏡の役割」は愛着理論における情動調律やメンタライゼーション理論に継承された。例えば発達論者は次のような言い方をしている。養育者によるミラーリング(乳児の情緒をまねること)は子供の自己発達において鍵となる。(Meltzoff, Schneider-Rosen, Mitchell,Kohut, Winnicott)