2023年10月27日金曜日

連載エッセイ 10ー1

  連載の10回目も引き続き快の問題を扱うことになる。そこで準備をしているが、一つ困ったことがある。結局私は十分な理解に到達していなくてなかなか書き進められないのだ。どうもしっくりこない。いっそ何がわからないかを書いてみたら少しは先に進むのだろうか?

 私は参考書として常に「もっと! : 愛と創造、支配と進歩をもたらすドーパミンの最新脳科学 ( ダニエル・Z・リーバーマン (著), マイケル・E・ロング (著), 梅田智世 (翻訳)2020年)」を読み返しているが、読むたびに疑問が出てくる。この本に書かれていることでなるほどと思ったのは、大きなLを感じることなくWが高まっていくというプロセスの存在である。

 例えば私はWが生じるためには強烈な快Lを体験する必要があると書いた。しかしタバコはどうだろうか? 生まれて初めてタバコを吸って「美味しい!」と思う人などいるだろうか?大抵はおいしいと思わないのに、そのうち吸いたくなるようになる。タバコを吸うことは快感を味わうというよりは、吸いたいというWを満たすだけのプロセスになっていく。つまり習慣性だけが形成されていくわけだ。Lは低いままにWだけが上がっていくのだ。

 このように考えていくと、実はWを快の一種と考えること自体が、実は誤りではないかと思える。通常の範囲のWなら、確かにそれは快楽的だ。しかし嗜癖に至るとWはすぐにそれを満たされていないという苦痛(マイナスW??)という苦痛に変質してしまっている。このプロセスがどうしてもわからない。

考えてみよう。通常のWとLの関係は釣り合っているのであった。つまりWはLで満たされ、しばらくWは低減するのだ。ものすごく喉が渇いていて、コップ一杯の水を喉から手が出るほど欲しくても、500CCのペットボトル一本の水を飲んだら少しは落ち着くし、それ以上はいらなくなるだろう。つまりWとLが釣り合っているという条件を満たしてくれるのは、thirst center 渇中枢がWを下げてくれるからだ。そしてこれは私たちにとってとても都合がいいことであり、このシステムが働かないと大変なことになる。 しかし考えてみればこのシステムだってそれが働く保証はどこにもない。恐らく生命体が存在し始めた時に、この種のサーモスタット的な仕組みはすでにあったのであろう(というかそれが備われない個体は生き延びなかったことになる。)でもそれが働かないと、行きつくところまで行くことになる。いわゆるポジティブフィードバックとはその仕組みを言う。ある種の活動は更なる渇望を生み、一定のクライマックスに達するまで突き進む。性的なオーガスムが良く出されるが、例えば排卵 ovulation 等の例も思い浮かぶ。WがLにより満たされるどころかそれを増大させるという状況が起きていると、まさに「止められない」という事になる。そして実は通常はネガティブフィードバックのループが備わっているある種の行動や飲食物のそれが外れると、嗜癖のような状態が出現する。

 飲食物については嗜癖の形成が知られているもの以外はあまりそれは起きない。例えばチョコレート中毒やラーメン中毒などはあまり聞かない。だいたいすぐに飽きてしまうからだ。ところが食行動(例えば過食)ネットゲーム等のギャンブル、ジョギングなどはその明確な仕組みが備わっていないか、それが失効してしまう場合があるのだろう。

 ネガティブフィードバックの仕組みが壊れる場合としては、過剰な行動が快感に結びついてしまうという場合もあるだろう。思いつくのは「首絞めゲーム」とか,辛い物への嗜好である。首を絞められて低酸素になるのはこれほど苦しいことはないと思うのだが、それが快感につながる場合があるからこそこのようなゲームが成立する。激辛が好きな人の場合も、口腔内の「痛み」が快感に結びついてしまうという事が原因であると私は理解している。