2023年10月25日水曜日

脳科学と小児臨床 2

 まずウィニコットははっきり言って分析的な衣をかぶっているが、フロイトとは全く対照的な臨床家であったといえる。彼の関心の対象は明確に、最早期に向けられていたのである。それは以下のような引用でもわかる。

「満足な早期の体験を持てたことが転移により発見されるような患者[神経症の患と、最早期の体験があまりに欠損していたり歪曲されていいた患者[精神病、ボーダーラインの患者]を区別しなくてはならない。分析家は後者には、環境におけるいくつかの必須なものを人生で最初に提供するような人間とならなくてはならない。」

 Winnicott,Hate in the Countertransference, 1949:p.198.

つまりフロイトが治療の対象とした神経症圏の患者と異なり、ウィニコットは最早期の母子関係でのトラウマを体験した精神病やボーダーラインの患者に関心を向けていたことが明らかである。この二人の関心の違いはどこから来るのかはわからない。私の考えでは、神経症や精神病はその成因が極めて複雑な神経学的なプロセスが絡んでいる可能性があるのに対し、トラウマと精神病理との関係は比較的わかりやすいということが言えるのではないかと思う。そして思えばウィニコットのこの時の慧眼は現在の脳科学的な研究をはるかに先取りしていたということが出来るだろう。

さてウィニコットが考えていた最早期のトラウマとはどのようなものであっただろう?

一つには彼が、乳児の絶対的依存の段階において「母親の防護障壁としての役割が侵害されること」をトラウマと考えたということである。それはのちに弟子のKhanが累積外傷 Cumulative Trauma として概念化したものであった。そのカーンが言ったように、その防護壁とは、結局親の世話である(Khan,1963)という。ではそこでウィニコットはこの段階で何をトラウマと考えたのであろうか。

そこではウィニコットは母親の鏡の役割を強調し、それが損なわれることがトラウマであると考えた。私達は促進的な環境により提供され、それは抱えること holding 、取り扱うこと handling、そして対象を提供することobject-presenting へと進んでいく。その中でも最初期の抱えること holding により支えられている絶対的な依存においては、母親は補助的な自我機能を提供し、そこでは赤ん坊は menot-me は区別されない。その区別は me の確立なしにはできないのだ。 

私はこのウィニコットの語る絶対依存期、すなわち自他の境界のない状態を想像することが出来ず、何となく抽象的で哲学的な話のように考えていた。しかし最近脳科学的な見方をするようになり、急速に考えを変えつつある。そのことは後に述べたい。