2023年10月21日土曜日

連載エッセイ 9 推敲 7

 この問題を追及したベリッジらは、私たちの体験する心地よさや快楽には二種類あると考えた。報酬はいわば二重帳簿なのだ。一つはそれに携わっている時の心地よさだ。これは「好き like 」という感覚(L)と表現できよう。チョコレートを口に含んでいる時、ジョギングを気持ちいと感じている感覚だ。そしてもう一つはそれを強く求めたり、止められなかったりする感覚。これを彼らは「欲する、求める want」と言い表した。こちらは「W」としよう。

 通常ならLとWは一致していると考えることが出来る。つまりチョコレートやジョギングはそれを心地よく感じる分だけ、再び求める。それに飽きて楽しくなくなってきたら、そろそろ切り上げたくなる。つまりいずれにせよL=Wが成り立っているのだ。

 ここでもう少LとWの違いについて説明したい。というのもおそらくこのLとWの区別は多くの人にとってなじみが薄いであろうからだ。学者の間でもこの両者を区別するという発想はなかったのだ。しかしベルッジに指摘されてなるほど、という事になったのである。

 特に分かりにくいのがWであろう。Lなら実際にチョコレートを食べたりジョギングしたりすることで直接に体験される。ところがWはいわばバーチャルな感覚なのだ。それはLを体験する事を想像した際に感じられるに過ぎない。つまりそれは快そのものというよりは、それをどれだけ求めるかにより間接的にしか知りようがないというところがある。

 さてこのWはある意味では純粋に「精神的なもの」と言い表すことが出来る。それはチョコレートの甘さやほろ苦さが直接舌の味蕾を刺激するという生理的なプロセスを得ない。なにしろチョコレートは実際に口に入ってはいないのだ。しかしあなたはそれを将来味わうことを期待して喜びを感じるのだ。

Wはまた「記憶に結びついたもの」といえるであろう。それはかつて味わったチョコレートの記憶を呼び覚ますことで呼び起されるものだ。

 ここでどうしてこのLとWの区別がここまで大切なのかを考えよう。それはこのLとWがどんどんかけ離れていくという病的な事態が生じることが知られているのだ。それが嗜癖の問題である。ベリッジらが示したこのLとWの区別は、この最初はW=Lを保っていたはずの両値がどんどんかけ離れていくという奇妙な現象を説明する手段だったのである。