嗜癖の成立
このドーパミンシステムに誤作動が起きることにより、嗜癖の問題が生じる。それは具体的には勝手にDがどんどん大きくなって行ったり(D→XD)、常にそこに存在するようになって私たちを苦しめることになるのだ。こうなると私たちはその行動を行わないことによる苦痛(マイナスXD)を常に引き起こす。それはどういうことか。
先ほどのチョコレートの例である。もしこれから買ってきたチョコレートを味わおうとしていた時に、それを紛失していたとしたら、あなたはかなりの苦痛を味わうはずだ。人間とはそういうものである。もともとそのチョコレートを食べることを諦めていたなら、それを購入することもなかったし、食後のデザートとして味わおうと楽しみにすることもなかったのだ。しかしそれを買ったつもりになって、期待を高めたが為に今あなたは絶望の淵に立たされている(大袈裟だ。)
そこで考えよう。もしあなたがこの失望を否が応でも常に体験させられるとしたらどうだろう?もちろんあなたがいくらチョコレートをせっせと買ってもあなたの鞄に空いた穴から落ちてしまう、という状況を想定しているのではない。自分でもコントロールできない形でこの失望を常に体験するという状況である。それは一種の飢餓(渇望)にたとえられるだろう。いつもは別にそのチョコレートを食べなくても平気であっても、こうなるとあなたは常にチョコレートの亡霊に悩まされるのだ。
そこで思考実験。まずその渇望は、あなたがチョコレートを食べる直前に、それをありありと想像したことによって生じた。しかしありありと想像する根拠は十分あったのだ。あなたはチョコレートを買った覚えがあるし、今まさにそれを食べようとする行動を誰も阻止しない。あなたが「チョコレートが食べたい!!!」とそれを渇望するのはまさにそのような時だ。その場合は食べるべきチョコレートが実際にあれば問題がない。しかしそうではない時にそのチョコレートを食べる想像が勝手に起きるようになったらどうなるか。例えば日常生活の中で、茶色のものを見ただけで、或いは「チ」とか「チョ」とかの音を聞いても生じてしまったらどうだろう?あなたはついそのチョコレートを食べていることをありありと想像してしまい、しかしそれを手元に持っていないために深刻な失望を味わうことになるのだ。もしその様なことが起きれば、あなたは常にチョコレートの亡霊に支配された人生を送ることになるだろう。
このチョコレートの例は少し非現実的だが、実際に同様のことは嗜癖が生じている場合には常に起きている。アルコール中毒の人が断酒をしている時に、ふと嗅いだアルコールを含んだ消毒液に反応した場合。パチンコ中毒の人がせっかくパチンコから遠ざかって忘れかけていたのに、街角で「チン、ジャラジャラ」の音を聞いてしまい、いたたまれなくなるという場合。セックス依存症の人がたまたま目にした魅力的な人により正常な判断を失う場合。瞬く間にDが再現されて、渇望を体験して苦しむ、というパターンは皆共通しているのである。