2023年10月5日木曜日

カップルセラピー その3

 「精神療法と夫婦の関係とはどこが違うのか?」のエッセイから何が引き出せるのか

カップルセラピーは結局それを継続する意思があるかどうかというところから逆算すべきであるというのが私の一つの結論だ。つまりカップルはそれが維持される前提で、そのためにはどうすべきかを考えるのが、本来の在り方だ。

 しかしカップルの中には、お互いに分かれる、という覚悟が出来ていない場合もあろう。その場合は少なくとも二人の関係がより心地よいものとなるための話し合いが必要であろう。そのひとつとして私が考えるのが「お互いに感謝する。」「お互いを他者と認識する」という原則である。これをどこまで守れているかを検討することである。それらが守られるならば、夫婦は円満に(あるいは少なくとも争いごとがなく)やれるだろう。しかし普通の人間ははこの原則を完全には守れないから、二者関係は円満にはいかないことにある。

私の立場は少なくともどのような関係であれ、この原則がどの理由で、或いはどのレベルで守られていないかについて認知的に知ることが重要であるという立場だ。なぜならそれを理解することは、その人が将来持つべきあらゆる関係についても当てはまるからだ。私達が他者を許せないと思う時、たいていは他人は自分とは異なる存在、という事を受け入れていないのだ。

まず相手に対して腹が立つこと、許せないことを取り出して考える。ひとつの例として、帰宅したら「ただいま」「お帰りなさい」というあいさつを交わす、ということが出来ない、という簡単な例を考えよう。夫が例えば挨拶に対して無視する態度を常に示す、という事に妻は許せなさを覚える。「どうしてそんな基本的なことも出来ないの?」 ところが妻は挨拶をすることが出来ないという困難さを夫が抱えるとした場合に、それを理解することが非常に難しいのであろう。「どうしてこんな基本的なことができないの?彼は朝出勤したら同僚や上司に挨拶が出来ているでしょう。私に対してだけは出来ないというのは考えられない。」妻はこうして夫は自分を馬鹿にしているのだ、人として見ていないのだ、だから挨拶を返そうとしないのだ、と考え、更に憤慨する。

私もこれを書いていて、挨拶を返さないなんてありえないよね、と思っている。でもこれがとても難しい人も中にはいるだろう、とも思っている。それほど他者は想像を超えた存在だ。こんな人もいるのだと思うことでしか社会で共存できない場合も少なくない。実際この「夫は挨拶を返さない」という訴えは実際にネットを読んでいて出会ったある実在する女性の悩みである。

もちろん妻の方は挨拶を返さない夫の態度を絶対に許せず、その為には離婚も辞さないというのであれば、そのような選択は十分にありうる。お互いに相手に欠けているところを受け入れるという原則は、それにより関係を維持するという事を前提としている。受け入れないから離婚もやむを得ない、と一方が決めたとしたら、それは選択の問題なのだ。恐らく挨拶を返さないという事以外にも、それに関連した様々な点について妻は我慢が出来ないと感じているのだろう。しかし夫のそれ以外の点は許せるとしたら、つまりただ一つ、「挨拶を返してくれない」という事が許せないことで別れるという選択をするという事は、あまりに非合理的というべきであろう。「この人は挨拶を返すことが出来ない、という病気にかかった、でもそれ以外は健康な人だ」と考えれば済むことだからだ。そして当然ながら、妻自身の欠点や問題点を夫の方が許容しているという可能性も同時に理解するべきであろう。