2023年10月23日月曜日

連載エッセイ 9 推敲 9

 この部分、どうしてもうまく書けない。再び書き直し。

ベリッジとインセンティブ感作理論


  こうしてドーパミンの「最終共通経路説」は否定されたことになったのだ。そしてその代わりに提唱されるようになったのが、ケント・ベリッジという学者の「インセンティブ感作理論 incentive sensitization model」 (略してISM理論)であった。

Berridge, KC and Robinson, TE (2016) Liking, Wanting and the Incentive-Sensitization Theory of Addiction. Am Psychol. 71(8): 670–679.

 このISM理論のエッセンスをひとことで言えば、私たちが実際に心地よさを味わうこと(liking, 以下に「L」と表記)と、それを願望すること(wishing, 以下「W」と表記)が全く異なる体験であることを示したのである。しかしこう言われただけでは何のことかわからないであろう。そこで以下に説明してみる。

 ここからは動物実験に代わって人間の例で考えてみよう。ラットやサルにとっての甘いシロップの代わりに、人間にとっての報酬として、甘いもの、例えばチョコレートを例として考えよう。もちろん甘いものは嫌いだ、という人もいるかもしれないので、多くの人にとって当てはまる例として挙げているに過ぎないことを理解していただきたい。アルコールの方が好みの方はビールにでも置き換えてほしい。

 私達の多くはチョコレートのような甘いものを好み、しばらく食べていないとそれへの願望Wも、実際に食べた時のおいしさもLも大きい。その場合願望Wは実際のおいしさに見合ったものであろうから、W=Lという関係が成り立つだろう。ところが私たちは最初の何口かはおいしかったチョコレートを永遠に貪り続けることはない。大抵は甘すぎて頭が痛くなったり,単純にその味に飽きが来たりして、もう食べ続けたくなくなるものだ。つまり美味しさ(L)は徐々に低下し、食べるのを止めた後も、再び食べたいという願望もやはり低下している。つまりW=Lの関係は釣り合ったままで、その大きさが減少する。しかししばらく食べないでいると、両者はバランスを保ったままでまた増加していく。

 同様のことはジョギングなどの行動についてもいえる。適度の運動を快適に感じる人は多いであろう。しばらく走っていないと、それをやりたいという願望Wが高まり、実際に走り出したときはそれに見合うだけの心地よさLを体験する。しかし30分も走れば息が上がり、もういい加減にやめて家に帰りたくなるだろう。走ることの心地よさ(L)は次第に低下し、それにつれてまた走りたいという願望(W)も低下する。

 このようにW=Lという関係は大体バランスが取れていることで、私たちの生命維持に役立っているのだ。通常は生命維持に役立つ飲食物や行動についてはある程度の心地さLが感じられるが、それが逆に健康を害するほどに過剰になればLが低減し、それらに対する願望Wも自然に低下するという仕組みは、私たちが健康を保つ上で極めて重要な仕組みといえる。

 このようにたいていの場合WとLは均衡を保っているが、それをベリッジが提案したように分けて考えることの意味はあるのだろうか?それはL=Wという均衡が時には破られ、両者が大きく食い違うという事が起きるからである。それが私達が何事かにハマったり、中毒になったりする場合である。するとお腹がはちきれそうになってもチョコレートを貪り続けたり(過食症の一種と考えられる)、体が悲鳴をあげながらもジョギングを止められなかったりする(いわゆる「ランナーズハイ」)という事が起きるのだ。