2023年10月12日木曜日

連載エッセイ 9 その9

  さてこれまで私はDの話ばかりしていたが、Lはどうなのか。Lは想像上ではない、純粋な楽しさだ。パチンコだったら最初に楽しさを味わった時の喜び。である。これはDが増えていく一方ではどうなるのだろう? これはかなりケースバイケースという事になるだろう。しかし低減していく場合が多い。もちろん最初はL=Dという感じだったはずだ。その瞬間いい気持ち(L)だったからまたやりたくなる(思い出した時の0.1D、実際に再体験することになった瞬間のD)。しかしDが大きくなるにしたがって、Lはどちらかと言えば小さくなっていくはずだ。

 例えば過食を考える。最初はお腹いっぱいスイーツを食べて満足する(L=D)。しかしDが大きくなるにしたがって食べる量が増えて行っても、それが心地よいという保証はない。そもそも最初のLでちょうどよかったのである。だから食べている途中から苦しくなるだろう。Lどころではない。マイナスLだ。そして多くの場合過食は収まるのだ。しかしそれでも過食が止まらない場合がある。なぜだろう?

 同様のことをパチンコ中毒の場合について考えてみよう。何時間も椅子に座っているとおしりも痛くなり、腕も指も疲れるし、目もかすんでくる。そもそも仕事を休んで馬鹿なことをやって‥‥という後ろめたさは相当なもんだろう。マイナス3Lくらいか。だからパチンコ中毒の人は決して楽しんでやっていないはずだ。そこで彼に聞いてみよう。「こんなに何時間もやっていて、しかも食事もせずに、軍資金もかなり減っているのに、何が楽しくてやっているんですか?そろそろやめて帰りましょうよ。」

しかし筋金入りのギャンブル依存の方なら、きっとこう言うはずだ。「私だってやめたいですよ。でも止められないんです‥‥。」彼の言いたいことを私たちなりに翻訳するとこうだ。「ここでやめようとすると、猛烈なマイナス10Dが襲ってくるんです。だからここから動けないんですよ。」このように真正の依存症の人は、それをやっていようといまいと、マイナスXDに襲われているのだ。(ただしやっている最中はこれがXマイナス1くらいに少し軽くなるので、やらないよりはましなのである。) 

 もっともっとシンプルな比喩を考えることが出来る。痛みと鎮痛剤の例だ。あなたはいつも慢性的な頭痛がする。大した痛みではないが、うっとうしい。市販の薬である程度は軽くなるが、切れるとまた同じ痛みが襲ってくる。

 そこに頭痛の特効薬が発売になる。さっそく飲んでみると、何とピッタリおさまった。これまであなたの頭痛はこれまでどの薬を飲んでも完全に取れたことはなかったのだ。そこであなたは驚いて、これからその薬を使うことに決め,3、4瓶くらいを買い占める。ただし薬屋の店員さんは、「気を付けて、ほどほどにお使いください。」と謎めいたアドバイスをしてくれたのが気になる。

さてあなたはその薬でぴったり頭痛がやむので、毎日使うことにした。最初の何日かは大変快適だ。こんな素晴らしい薬があるなんて。ところがある日いつもの量(一錠)を使っていても、少し痛みが残る気がする。そこで2錠にしてみると、殆どピッタリ痛みが治まった。そこで次の日からは2錠飲むことにした。そして同じように数日間は頭痛から解放される。しかし恐れていたことが起き始めたようだ。そのうちその薬が体から抜けることには、最初の痛みよりも強い痛みが襲ってくる。あなたは急いで3錠、いや4錠を口に放り込む・・・。これはおなじみの依存症の成立のパターンだ。そして最後には、常時大量の薬を使っても、最初とは比べ物にならないほどの頭痛に悩まされることになる。

 この鎮痛薬の例では、先ほどのLがどうなったかというのは明白だ。最初からあった頭痛による苦痛をHとすると、特効薬を一錠飲んだ時に感じた安らぎであるマイナスH(頭痛がすっかり消えたことの心地よさ。こちらはマイナスが付くが快楽である)は、頭痛そのものが結局は消えないので、どれだけの錠数を飲んでも決して味わえないことにある。彼が薬を飲み続けるのは、痛みをほんの少しでも和らげたい、それだけだ。Dが肥大する一方で最初のLは失われてしまっているのである。