2023年10月13日金曜日

連載エッセイ 9 その10

 ここまで論じたことで、多少はDシステムの怖さを言い表すことが出来ただろうか。Dシステムはある快楽的な出来事を記憶して、それを思い出させ、疑似体験、つまり0.1Dほどの体験(「あの時は気持ちよかったなあ」というそれ自身は快楽的な体験)と、その直後のマイナス0.1D(「でも現実には少しも気持ちよくないや」という苦痛体験)を起こさせる。もし生活の中でそれを半分くらい再体験する可能性を見出すのなら、それを確実にするべく0.5Dの喜び(半分ぬか喜び)をあたえ、またそれを取り逃がした際の不快体験を起こす事でそれを獲得する行動を確実なものにするのだろう。例えばライオンが餌を駆る時はこんなことを繰り返しているのだろう。だからこれ自体は合目的的な装置なはずだ。ところがこれが誤作動を起こして暴走することがある。

 このDシステムは通常は、ある快楽行動のその成就可能性により実際の(つまり初回にLとして体験されたDの)10%とか50 %等の先取り体験を起こさせる。もちろんそれが実現不可能なら殆どゼロだ。ところが体験として何を選ぶかにより、このシステムは誤作動を起こす。勝手にDがどんどん大きくなって行ったり(D→XD)、常にそこに存在するようになって私たちを苦しめる。こうなると私たちはその行動を行わないことによる苦痛(マイナスXD)を常に引き起こす。

 一番典型的な形でこの暴走を起こすのは嗜癖性を有する薬物である。コカインやヘロイン、覚せい剤といったたぐいの物質で、純度が高く、しかも吸入して一気に血中濃度、脳内濃度をあげることで強烈な快(想像上ではなく、実際に体験するXD!)を体験することで、Dシステムの暴走が起きる。また賭博、ギャンブルもこれを引き起こしやすい。両者に共通する要素はお分かりだろうか。L、2L、3Lといった強烈な快の上昇を現実に体験することだ。そのほとんどは人工的な条件で成立し、そこには現在の科学の力が影響していることが多い。コカインならどんどん精製技術をあげて純度を高めることで。賭け事なら合法的な賭博場で膨大な勝ちや借金をすることで。ゲームならますます繊細な画像やダイナミックな動きを取り入れることで。おそらくこのような条件なしにはDシステムの暴走は起こりにくい。だから昔南米の原住民がコカの葉っぱを嚙んでいても、それはあまりに薄すぎて、大きなLもDも体験し得なかったのだ。(ただし賭け事に関しては、特別な地位にあり、有り余るほどの財宝を持つ人なら、これに陥っていた可能性もある。)

ただし私たちは日常的な行動もまたこれを引き起こすことを知っている。例えば最近のゲーム依存はどうだろう?この場合現代ならほとんど皆が持っているスマホに入っているなんてことはないゲームにはまってしまうことがある。確率としては低いながらも、特に年少のうちに暴露されたゲームは依存症を生みやすいと言われる。しかし周囲の大人の目がそれを見つけ、スマホを取り上げることで、その子の体験するLが急増しないうちに芽を摘むことは出来るだろう。ところが思春期を経て大人になり、ある程度の行動の自由を得、またその行動を誰からも阻止されることがなくなると、急速なLやDの上昇を体験することを自らに許容することにもなる。人間は弱い存在なのだ。こうしてDSM-5やICD-11に掲載されている行動嗜癖に当てはまる行動のリストはこれからもますます高まっていくのだろう。

 さて以下は私見だ。(といってもこれまでも私見ばかりだったが。)薬物依存や行動嗜癖等によるDシステムの暴走を生む決め手は、どれだけ大きなLを、何度か繰り返し体験できたか、なのだ。よくコカインや覚せい剤を初回に体験した人が言う。「〇〇の10倍気持ちよかった!」この○○にはこれまでの人生で体験した幸せとしていろいろなものが入るであろうが、いずれも私たちが普通に体験していて覚える快感だ。いわゆるナチュラルハイ、というやつである。そしてこれはふつうは多寡が知れているのだ。不快や苦痛と違い、快には天井があるのである。

 そこでたとえば「希望の大学に合格した!」という例を考えよう。有頂天になり、周囲のものがばら色になるかもしれない。これをかなり大きなLとしよう。しかしその10倍の気持ちよさ(10L)を想像できるだろうか?大学にもうひとつ受かっても、新しい恋人と結ばれても、高々2Lとか3Lどまりであろう。普通はふたたびLを体験できれば上出来であろうし、たいていはL以下である)。それにもう一つ大学に入るためにはまた何年もかかるであろうし、その試験にも失敗するかもしれない。さらに新しい恋人と結ばれるのにはそれこそ何年かかるかわからず、またその満足体験(Lとしよう)は恐らく人生では二度と体験されない方が可能性としては大きい。そう、通常はDシステムの暴走を来すような条件(どれだけ大きなLを、何度か繰り返し体験できたか)は満たされないのだ。それにたとえ同じLをどうしても体験しようとすると、そこにかかる時間や苦労は並大抵ではない。人はさすがにそれをあきらめざるを得ないのだ。(考えてもみよう。どんなに筋金入りのパチ中の人も、パチンコ屋さんが富士山の頂上にあったとしたら、7合目の山小屋から毎日登頂することは諦めるはずだ。)