さてここであらためて嗜癖モデルを考えよう。もしあなたの脳に誤作動が起きて、他人の一万円札をちらっと見た途端、それを実際にもらったという想像があまりに強烈で、妄想に近いレベルにまで達したらどうだろう?例えばスーパーで買い物をしてレジに並んでいて、前の客が財布から一万円札を取り出すのを見た瞬間にこれが起きて、「やった!」となってしまう。単なる想像なら0.1Dで済むのに、いきなりDが来てしまう。そして次の瞬間その妄想から覚めて、実際にはそれが起きないことを知る。(ここら辺が精神病と違うところだ)。恐らく実際に一万円を突然誰かに取られたか、どこかに落としてしまったかのような失望を体験するはずだ。そんなバカなことは実際に起きないだろうとお考えだろうか。しかしそれが嗜癖による体験と非常に近いのである。
例えば筋金入りのパチンコ中毒の人は、パチンコ屋の存在しないどこかの離島で長年暮して、すっかりパチンコのことを忘れ去ったつもりでも、久しぶりに都会に出て来てパチンコ屋を通り過ぎて「チン、ジャラジャラ」という音を聞いた瞬間に猛烈にパチンコをやりたくなるかもしれない。強烈なDが突然襲ってくるのだ。するとマイナスDの苦痛を回避するためには、もうパチンコ屋の扉を押すしかない。
ところで改めて考えよう。マイナスDが解消されるためにはどうしたらいいのだろうか? 単にパチンコ屋で数時間過ごすだけでいいのだろうか? 多分多くの人にとってはそれでいいのだろう。もちろんそこで賭けた金をすべてスッてしまったら、マイナスDは恐らく完全には回収されないであろうが。でもそれほど楽しい思いもしないだろう。初回の楽しさLはおそらくLのままだ。ところがここに罠がある。しばらくぶりで入ったパチンコ屋であなたはこれまでにない勝ち方をするのだ。数時間で数万円分という途方もない「景品」を貰う。そんなことを繰り返すと、またパチンコ屋の近くを通り過ぎた時のあなたに襲ってくるのは、たとえばマイナス2Dだったり、マイナス3Dだったりするのだ。そしてそれを回避するためにはパチンコ台に向かうしかない。こうしてあなたのパチンコ中毒は深刻になっていく。
ちなみにこのDの上昇は、パチンコに大勝すること意外にも起きるのがミソである。それはいわゆるニアミスだ。例えば最初の3時間で数万円を稼ぎ、パチンコ屋の閉店までのあと一時間でさらにひと稼ぎをしようと考えるとする。これだったら、最後の一時間でさらに稼ぐ場合に比べて、かなりの頻度で起きうるはずだ。ところが大抵は、あなたは稼いだ分の半分を、あるいは全部を失ってしまう。あなたはもうパチンコはこりごりだと思い、二度とお店に近づかないだろうか。一部の人にとってはそうであろう。ところがこのニアミスもまたあなたのDを2Dや3Dに膨らましてしまう可能性がある。よくある例は、最後の瞬間に賭け事に負けると、さらにアツくなり、「絶対にこれを取り戻すぞ!」と仕事を休んでも翌朝パチンコ屋の前の列に並ぶのである。「もう少しでうまく行った。あとひといきだった。」という体験もまたDを2Dに、3Dに押し上げてしまうのである。