2023年10月29日日曜日

連載エッセイ 10-2

 さてここで嗜癖が生じる仕組みを追求するためには、報酬系におけるドーパミンシステムのふるまいを知らなくてはならない。実は次のような原則がある。

 VTA(腹側被蓋野)から延びるニューロンが興奮すると、側坐核のシナプスにドーパミンを放出するわけだが、そこでドーパミンはそれを受け取る「受容体」に付着することになる。それが電気信号としてさらに送られていくわけだが、私たちの体験する心地よさは、どれだけ多くの受容体が、どれだけ早くドーパミンを受け取るかということにかかってくることが知られている。ここで説明のために比喩を用いてみよう。 ドーパミン受容体を、風力発電の際の風車に例えよう。そしてVTAから延びるニューロンの興奮が、風車に向かって吹き付けられる風(実はあなたが吹きつける息)だとしよう。すると生まれる電力は、まわった風車の数により決まることになり、その数を決めるのはあなたが吹き付ける息の強さということになる(ちなみにそれぞれの風車は、吹きかけられた息の強さ如何にかかわらず一定のスピードで回るものとする)。

 実際に風力に相当するのはVTAのドーパミンニューロンの興奮の強さという事になるが、それは具体的にはどれほど急激に嗜癖薬物(例えばコカイン)の血中濃度が上がるかによることが知られている。例えばクラックコカインのように、煙で吸って肺胞を通じて血中濃度が一気に高まるときに、VTAのニューロンは最大に興奮し、それにより最も強烈な快感を生み、一気に嗜癖が生じやすくなるのだ。(たばこの嗜癖性もまた、吸い込んで肺胞から吸収されたニコチンが一気に脳に達するからだ。)

 ここで風力が大きくなればなるほどたくさんの風車が回り、それだけ多くの電力が生まれるのであれば、こんなにいいことはない。快感の大きさも無限になるからだ。しかし残念ながら側坐核に存在するドーパミンの受容体には限度がある。それにあなたが吹き付ける息の強さにも限度がある。そこで人間が体験することのできる快感には上限があることになる。おそらくクラックを吸ったことのある人なら、第一回目に体験した快がそれに相当するのだろう。それ以上の快感は体験しえないことになる。(逆に痛みについて考えても面白いが、ここではまず快の方についてだけ考える。)

 さてもしこの仕組みがこのままだったら、W=Lはそのまま成り立つことになる。あるパケの10分の一の量で絶頂を体験したら、次回もまた同じ量で同様の絶頂を体験するだろう。これで問題はないはずだ。風車だって同じだろう。ところが多くの風車のフル回転を繰り返していくうちに二つの問題が生じる。(実は嗜癖ではほかにいくつものことが起きるわけだが、とりあえず主要な二つに限定しておく)。

 一つは風車が抜け落ちていくのだ。つまり同じ息の大きさでも回る風車の量が減ってしまう。おそらく通常起こされる電力は大体決まっているので、この発電所を管理している当局が「風車はこんなに要らないみたいだね」と勝手にいくつかの風車を撤去してしまうらしいのだ。

 そしてもう一つ、あなたの息の強さが失われていく。おそらくあまりにフーフーと強く息を吹き続けたので体力が消耗してしまったのかもしれない。あるいは例によって当局があなたの息の強さを「そんなに強く吹かなくても適切な電力はまかなえるだろう」と勝手に調節してしまう。どうやら当局は、生存にとって最もふさわしい電力というのを知っていて、それを超えた電力については異常を取り締まるらしいのだ。これがいわゆるシナプスの下向き調節 (downregulation, 略してDR)という現象である。