2023年10月30日月曜日

連載エッセイ 10-3

 何だかこの比喩を続けることで話をもっとややこしいものにしているようなのでここでやめるが、要するにこういうことだ。報酬系を全開にしているうちに、側坐核のドーパミンの受容体も減り、VTAの興奮の度合いも減っていくのだ。そしてこれは実に困った事態を引き起こす。あなたがごく日常的な生活を送っている際に生まれる電力が減るのだ(しまった、また比喩に戻ってしまった。)どういう事だろう?

 風車の比喩で少しわかりやすくなったかもしれないが、実は人間は生きている中で、あるレベルのドーパミンによる刺激を得ている。それにより通常の気力を保っているのだ。これが減ってしまうと鬱になったり生きていることが苦痛になったりする。

この件については、実は前回の連載で伏線を張っておいた。引用しよう。

「ところでこの実験にはもう一つ重要な見どころがあった。それは緑信号を見せた後にサルにシロップを与えなかった場合に起きたことだ。その場合サルは期待を裏切られたことになるが、その際はドーパミンの興奮がいわばマイナスになり、サルは著しい不快を体験することになる。(発火パターンの下から三番目。この意味は次回にでも説明することになろう。)

「ドーパミンの興奮がマイナスになる」という言い方はその文脈では変だったのだ。サルはシロップが与えらえることを予告する緑信号を見た時でないと出なかったはずだ。マイナス、という事はないはずだろう。しかし実はドーパミンニューロンの基礎レベルというのがあり、それに加えて放出される場合のことを「ドーパミンニューロンが興奮し発火した」と表現していたのだ。

ここで比喩を続けて(どっちなんだ!)嗜癖が生じるような事態を風車を回しすぎて「当局に睨まれた」という事態だと考えよう。実は当局はいつどのようなときに介入してくるかわかりにくいところがあるが、大体原則があるらしい。それは例のポジティブフィードバックと関係している。粒チョコレートを好むあなたは、大抵4,5個食べていると、もうそれ以上は欲しくなくなるとしよう。ところがある時不思議なことを体験するようになる。ある限度を超えると,例えば10個を越えると、ハイになってきて、もっともっと食べたくなるのだ。単なるチョコ好きであることを越えて、いかにも享楽をむさぼるようなあなたの行動に当局は目を付ける。そして報酬系に細工をしてしまう。先ほどの下向き制御(DR)である。すると今度はチョコを食べていない時はつらい、という状態になる。この状態は不思議であり、この苦しさを救うのはチョコレートを食べることなのだ。しかしかなり大量に食べる必要がある。ドーパミンの受容体も減り、ドーパミンニューロンの興奮もしにくくなっているから、かなり大量のチョコレートが必要になってくるのだ。

だたこのDRの仕組みだけでは私はいま一つ納得が出来ない。チョコレート中毒になったあなたはしばらくCA(チョコレートアノニマス)に通い、チョコレートの亡霊から解放され、普通の生活が送れるようになった。しかしあなたはしょせんチョコ中である。町でチョコレート味のソフトクリームを食べている人を目にすると突然激しい渇望が襲ってくる・・・・。これはどうやってDRで説明できるのだろうか?