2023年9月27日水曜日

テクニックとしての自己開示 2

 原則2

 患者は基本的には治療者の情報を異物、ないしは自分にとって関係のないこととして受け取る可能性が大きいことを自覚すべきである。

 人間は、もちろん治療者も含めて自己愛的な存在である。目の前に共感を向けるべき、あるいは向けざるを得ない存在(家族など)がいない限りは、彼(女)は自分の問題に一番興味を持つ。心地よさ、不快さ、流入してくる情報等はすべて主観的な体験となり、自分が利用し、処理すべき問題であり、それが十分にできていることは社会生活を送る上での基礎といえる。この必要でかつ自然な自己への注意、いわば健康な意味での自己愛、ないしは自己関連付けの傾向は、しかし人の話を傾聴をする上での大きな障害とならざるを得ない。

 患者が自分に関わる問題で治療者を訪れる際はもちろん、自分に起きていることを(他者との関係において、という事をも含めて)最大の関心事としている。それを聞く立場にある治療者が、上記の健康な自己愛以上の自己愛を発揮して自分の主観的な体験を語ることには意味がないだけでなく、それが患者が自分のことを伝達する際の障害ないしは妨害となる可能性が大きい。(原則1との関連で。)

 この問題をさらに大きくするのが、治療者が自分の情報を問われもしないのに随時語る場合のネガティブな影響である。それは往々にして、治療者が自分の自己愛的な満足の為に患者の時間に侵入し、それを一部奪っているという印象を与えかねない(これも原則1に関係してくる)為に注意を要するのである。それは最初から準備され、インフォームドコンセントの一環として治療者が行う自己開示、ないしは患者の側が積極的にその開示を要求した場合の自己開示とは大きく異なるのである。

 その結果として言えるのは、治療者が自分のことを語るのは、これらの問題を考慮したうえでもそうすることのメリットを十分に認識したうえでの行為でなくてはならないことになる。これらが技法としての自己開示を技法として取り扱う上での注意点である。