ここで一つ明らかにしておきたいことがある。私たちがこれまで意識レベルでの共感と簡単に言ってきたが、それは果たしてどの程度正確に可能なのだろうか。意識レベルのことだから両者にとって明らかであり、間違いが起きる余地などないのであろうか? 実はそれは決して容易ではなく、「当たりはずれ」や「オーバーシューティング」等も決して少なくないのである。
患者からの共感が「外れ」た臨床例
ある架空の事例である。
あるセッションの開始時に、セラピストと患者は朝のあいさつを交わす。しかし患者はセラピストがいつものようにこちらに目をしっかり向けて挨拶をしなかったような気がした。そう言えばセラピストの相槌の打ち方もぞんざいな気がした。患者は思い切って尋ねてみた。
患者:「先生は今日は疲れていて、セッションに気乗りがしていないのではないか? 何かあったのですか?」
治療者:え? そうですか?・・(セラピストはその様な「疲れ」や「気乗りのなさ」を特に自覚していない。)
ところでこの章は精神分析的な枠組みについての議論から始めたが、本来無意識レベルでの理解には、分析的な(象徴レベルでの)解釈以外の様々なものが含まれる可能性がある。ちょっと挙げただけでも以下のものが考えられる。
直感により知るもの、身体レベルでの理解、いわゆるフェルトセンス、ソマティックマーカー仮説(ダマシオ)、マルチモーダルな体験 multimodal input,ミラーニューロンによる媒介などなど。そしてこのように考えると、実は結局共感を意識レベル、無意識レベルに分けて考えることにはあまり意味がないであろう。
また精神分析の分野でも治療は患者の無意識ではなく「未構成の経験 unformulated experience」を扱う(D.Stern,2014)という立場が見られる。それによれば共感すべきものがはじめからそこにあるとは限らない。共感内容は実は両者により構成される可能性があるという考え方が成立するのだ。
注) ソマティックマーカー仮説
アイオワ・ギャンブリング課題などで、健常者は実験者の方略に気づくより前に課題成績が向上し、前頭葉腹内側部 vmPFC 損傷患者では適切な方略に気づいても成績は変わらなかった。
適切な意思決定にはvmPFC が引き起こす無意識の情動的身体反応が不可欠であると提案した。それがAntonio Damasio らにより提唱されたソマティックマーカー仮説である。
2.認知心理学的、脳科学的な共感の理解
「共感」の分類
ここで共感とは「他者の体験を目にした際に人が示す反応 」というデイビス(Davis,1994)の定義に従って話を進める。共感は以下の二つに分けられることが多い。
情動的な共感(人の情動を理解すること:熱い認知)
認知的な共感(人の思考を理解すること:冷たい認知)=心の理論(ToM)
Davis, M.H. (1994). Empathy: A social psychological approach. Madi son: Brown & Benchmark Publishers.
さらに共感の種類としては以下の①~③が提唱されている。
① 情動的な共感
認知的な共感 = 心の理論(ToM)
② 認知的なToM 人の思考を認知的に理解する
③ 情動的なToM 人の情動を認知的に理解する