2023年9月7日木曜日

共感 1

はじめに-共感は無条件に良いもの」されて来た

 共感について脳科学的に論じるのが本論文の趣旨である。まず最初に言いたいのは、本来私たちは共感をよいもの、人間にとって必要なもの、世界平和につながるもの、と考える傾向にあった。例えばもとアメリカ大統領のバラク・オバマは「現代の社会や世界における最大の欠陥は共感の欠如である」といったという(「反共感論」 p.28)。

「独裁者が少しでもわが子を送り出す自国の兵士の親や、敵国の被災者の気持ちに共感できるのであれば、あのような無慈悲な攻撃をすることはないであろう。」

 ところが共感の負の側面も論じられるようになってきた。私はそのことを個人的には、ブルームの「反共感論」(白揚社、2018)により考えさせられた。

「共感とはスポットライトのごとく、今ここにいる特定の人々に焦点を絞る。他方では共感は私たちを、自己の行動の長期的な影響に無関心になるように誘導し、共感の対象にならない人々、なりえない人々の苦難に対して盲目にする。」(「反共感論」p.17)


ただし私は共感そのものには良し悪しはない、という立場に立ちたい。それは何に共感するかで異なる意味を持つであろうと考えるのである。

1.精神分析における共感

従来の精神分析は共感をどのように扱って来たか?まずはそこから取り掛かろう。フロイトは何よりも無意識を理解することの重要性を強調した。そして他方ではフロイトは共感 Einfühlung についてはほとんど注意を払わなかったのである。そして暗黙の裡に前提とされていたのは、精神分析では、無意識レベルの理解は、意識レベルのそれより本質的で、より高度であるということだったのである。そしてそれは精神分析の前提からしたら当然のことだったのである。神経症の症状は無意識内容の象徴的な表れであるとしたら、症状の除去には無意識の理解は必然となる。他方共感は他人の意識レベルでの体験の理解であり、背後の無意識レベルの問題の存在を示している以上の意義を持たなかったのではないか?
 ではフロイト自身は意識レベルの体験について、実際にはどのような態度を取っていたのであろうか。

意識レベルでの体験として、例えば患者に向けられた転移にあまり関心がなかったと考える根拠がある。 Freud: Darkness in the Midst of Vision (John Wiley & Sons, 2000)「フロイト― 視野の暗点」 ルイス・ブレーガー  (著),  後藤 素規 (翻訳), 弘田 洋二 (翻訳), 大阪精神分析研究会 (翻訳) 2007 から、A.カーディナーの体験についての記述に注目しよう。

カーディナーは30歳の頃、65歳のフロイトの分析を受けた。カーディナーはフロイトを理想化し、分析は成功に終わったが、彼はフロイトのお気に入りの解釈 pet interpretation である「無意識的な同性愛」に悩まされた。カーディナーの父親に対する恐れは分析でも扱われたが、彼のフロイト自身への恐れにはフロイトは気がついていないようだった。(Breger, p.279)

 ちなみに精神分析の外部では、C.ロジャースが来談者中心療法の文脈で1950年代から共感の重要性を説くようになった。しかしフロイト以降の精神分析は共感をどのように扱って来たか? H.コフートは1957年に「内省、共感と精神分析」を発表したが、精神分析の世界にあまり波紋は与えなかった。(共感は「身代わりの内省」であるという定義からわかるとおり、共感とは基本的に意識野の体験をさす。)その後コフートは「自己の分析」(1961年)を発表したが、精神分析会の権威たちからは黙殺された。

 コフートの「共感」は科学的、客観的なデータ収集の方法というニュアンスが強いことが問題とされることもあった。(⇔ロジャースによる批判)

 その後の精神分析においては共感は徐々に支持的療法の一つとして位置づけられて行った。そしてその支持的介入と言えば、それは精神分析の世界では長い間軽視される傾向にあったのである。

 ちなみに精神分析の効果研究を行ったメニンガークリニックでは、次のような原則が唱えられていた(Wallerstein #, p.688)。

 “Be as expressive as you can be, and as supportive as you have to be”.「できうる限り表出的であれ、そして必要とされるだけ支持的であれ。」

# Wallerstein (1986) 42 Lives in Treatment. Guilford Press.

メニンガーでの研究の結果、支持は洞察に劣らないという主張がなされるようになったのだ。メニンガーでの研究以前の常識は、次のようなものだった。「内的な葛藤の解決に導くような、表出的な方法により得られた変化は、支持的方法『のみ』によりもたらされた変化より、より広範に及び、より永続的で、将来の環境の変遷や圧力により強力な耐性を持つ。」

しかし研究の結果により、「支持的療法による変化が、表出的療法により得られた変化に比べて永続性がないという証拠はない」ということが分かった。(Wallerstein,1986)

ちなみに小此木2000では、この両者は両立し、共存するという立場を示している。