2023年9月18日月曜日

連載エッセイ 9 その1

 今回のテーマはずばり、快感と脳科学についてである。この分野もまた私がとても大きな関心を寄せているテーマである。

人は結局快感を覚えるために行動しているのではないか?私が精神や脳について考え、それを仕事にすることになった一番のきっかけはこれだった。このテーマは精神分析のトレーニングを終えてもトラウマや解離性障害についての臨床を行っている間も私の関心から離れず、2017年にはこのテーマで本を出したこともある。「快の錬金術-報酬系から見た心」(岩崎学術出版、2017年)このことが決して自慢にならないのは、実はこの本の売れ行きがかなり悪かったからなのだ。私は間違いなく、この本を書いている時が一番楽しかった。何しろ快感、嬉しい気分についての本なのだ。書いていて楽しくないわけがないであろう。しかし・・・・。私はこの頃からだろうか。自分の書く本の売れ行きはほとんど期待しなくなった。自分が書いていて面白いこととを人が読んで面白いと思ってくれるという保証は全くないことを身をもって知ったのである。そしてこれは出版社にとっては大変申し訳ないことだが、私は自分が書いていて楽しい本だけを作ることに満足しようと思ったわけである。

という事で最初から言い訳めいた話になったが、なぜこの快の問題が面白いかをなるべくわかりやすく論じたい。

快楽は脳から生まれる

 といきなり書いたからと言って、誰も反論できないであろう。コカの葉から生成した白い粉上の物質(コカイン)を微量だけ吸入すると、途轍もない快感が得られる。快感はいくら人間が修行を積んでも簡単に得られるものではない。でもほんの少し白い粉を吸い込むことで途轍もなく楽しい気分になれる。精神分析の祖であるフロイトもこの効果にいち早く気が付いた一人だった。当時は軍医が兵士の疲労回復に使うくらいであったこの物質の麻酔効果や著しい快感を誘発する性質を知ったフロイトは、これこそが精神の病に効く万能薬だと考えた。

その頃脳の解剖学は殆ど知られていなかったが、コカインが脳のどこかに作用して快感を生むという事は明らかだった。そしてそれが人間が自然環境で得られる快感をはるかに凌駕するからこそ、人はその中毒となった。つまりそれを使用し続けて廃人の状態にまでなり得るという現象が生まれたのである。