ここで脳や心が置かれる臨界状況の典型的なものについて挙げたい。
- ようやくここであることを思い出しそうで思い出せない時。
- あるアイデアが閃きそうな時。
- 怒りの爆発をギリギリで抑えている時。
- 解離状態において人格の交代が起きる時。
では私たちは何がどうするのを待っているのかと言えば、それは私たちの無意識、ないしは脳からのリスポンスを待っている状態であろう。それはあたかもコンピューターの検索エンジンにキーワードを入れて enter キイを押し、結果を待っている状況に似ている。いずれにせよこのような場面で私達は無意識や脳に対してかなり受け身的な姿勢を取るのである。
「自己組織化臨界性」 (Self-Organized Criticality, SOC)とは?
さてここで少しわかりにくいタームを導入したい。それはSOCという頭文字である。これは「自己組織化された臨界性 Self-Organized Criticality」の頭文字だが、長ったらしいので簡略化してSOCと呼ぼう。これはどういう意味かといえば、複雑系の中でもあるものは、この臨界の付近に自然と近づいてくるという意味である。
SOCの定義としては、それは臨界に向かっては離れ、向かっては離れ、時々相転移を起こすシステムであり、広い意味では心、ないしは脳はこのSOCと考えられる。臨界から遠ざかっている時はあまり大きなことは起きない。しかし決断を下さなくてはならない機関であるということは、必然的にいつでもいざとなったら氷結や雪崩を起こすことのできるSOCである。
ではなぜ脳はSOCなのか。それは端的に動物は生きるという宿命を負っているからだ。動物は安静時でも常に活動し、外界からのエネルギーを必要としている。その為には捕食しなくてはならず、敵から身を守らなくてはならない。つまり行動を起こすわけであるが、それは殆どが臨界状況を含む。例えば猫がネズミを捉える時は、ネズミを捉えるという決断を下す、実際にネズミを捕獲するチャンスを伺う、獲物にこちらの存在を気づかれずに捕獲できるギリギリの距離までおびき寄せる、等はことごとく臨界期なのだ。
もちろん臨界期を迎えずに生きている猫もいる。例えば一日に一度餌と水を与えられ、あとは昼寝をしている猫であれば、臨界はめったに起きないかも知れない。全てが計画通り、予測通りに生じ、猫は何もハラハラする機会がないかも知れない。しかしそのような環境を提供してくれるご主人様に捨てられたら、野良になり、臨界につぐ臨界の厳しい生存競争を生きていくことになる。
それに比べて自然界、例えば大地がSOCだと言えるのだろうか?必ずしもそうではないだろう。たとえばアメリカの中央平原に居てもめったに地震を体験しない。何年ごとに起きる大地震にハラハラすることもない。つまり臨界からは程遠いのである。しかし世界全体の地震の頻度が、リヒター・グーテンベルグ則の冪乗則に従う以上、全体としては臨界に近いことになる。つまりプレートは常に動いており、世界のあちこちでひずみが生じては地震である程度それが解消され、ということが連続的に起きているわけである。