2023年8月21日月曜日

男性性とトラウマ 文字起こし 2

 男性がなぜ男性の加害性について語らないのか?

 さてまずは男性性の問題についてあまり男性が語らないのはなぜかという問題から問いたい。それは男性自身が持つ恥や罪悪感のせいだろうか? そうかもしれない。そもそも男性の性愛性は恥に満ちていると感じる。それは何故か。(ここで男性の持つ性愛性、という言い方をするが、本当は「男性の性性 male sexuality」とでも表現すべき問題である。しかし分かりにくくヤヤこしいので、ここではあまり呼び方にはこだわらないことにしよう。)

 ともかくも男性は特に罪を犯さなくても、自らの性愛性を暴露されることで社会的信用を失うケースがなんと多いことか? 最近とある県知事が女性との不倫の実態を、露骨なラインの文章と共に暴露された。またある芸人は多目的トイレを用いて女性と性交渉をしたことが報じられて、芸人としての人生を中断したままになっている。

 さてパラフィリア(小児性愛、窃視症、露出症、フェティシズムなど)が極端に男性に偏る事と関連しているのか?(パラフィリアのみが精神障害と結びつけられるのはなぜだろうか?) パラフィリアは昔倒錯 perversion と言われていたものだが、その差別的なニュアンスの為にパラフィリアという表現が1980年のDSM-Ⅲから用いられている。英語で「He is a pervert!」というと、「あいつは変態(パーバート)だ!」というとかなり否定的なニュアンスの、差別的な意味合いが込められているからだ。
 そのパラフィリアの問題っていうのは深刻な問題だと私が思うのは、これは最近あれほど叫ばれている性の多様性にカウントされないということである。つまりこの種の性癖はそれを持っているっていうことが決して自慢にはならない、むしろ旨性の多様性の中に要するにの中に入ってこないなぜ入ってこない。それはそれで問題ないんじゃないかということも出来るだろう。パラフィリアには例えば露出癖がある。もちろん「露出癖を持つ人たちも差別をしないでほしい」という運動は起きないでしょう。しかし例えばフェティシズムも含まれるが、無生命のものに恋する人たちが差別的な扱いを受けることに反対することはない。

男性の性愛性は本来的に加害的であったり劣っていたりするのか?

 こうして私たちは次の言葉にごく自然に行きあたるのである。それは「劣情」である。

 男性の性愛感情は結局「劣情」なのだろうか?そもそも劣情とは 「卑しい心情。また、性的な欲望や好奇心を卑しんでいう語」(精選版 日本国語大辞典)と定義されている。

 しかし心情に貴賤はあるのだろうか。おそらくあるとしたら自分や他人に対して恩恵をもたらすものが正しい、尊い心情であり、逆に他人を害し、自分にとっても利益にならないのが劣った感情ということになるのだろう。そして男性の性愛性は、多くの場合それが野放図に発揮された場合に、女性に対して加害的であり、また自らにとっても強烈な恥の体験をもたらすものであり、その意味でまさに「劣情」と呼んでしかるべきものであろう。

 デジタル大辞泉によれば、劣情としてはっきりと性的な願望を含める。劣情とは「いやしい心情。また、性的な欲望や好奇心をいやしんでいう語。—を催す」。同辞書ではムラムラとは「

劣情などが激しく起こるさまなどを意味する表現。」とされる。

 男性が持つ加害性について、次に二つの代表的なものをあげよう。それらはサイコパス性と小児性愛である。