2023年8月13日日曜日

連載エッセイ 7 推敲 3

 ただしそれぞれの脳半球が担当する二つの心は、かなりその能力に差異があった。私達人間の言語野はほとんどが左半球に存在するが、そのことからも予測されるとおり、右脳の心自身は言葉を発することが出来ず、絵を描いたり行動したりすることでしか意思を示すことが出来ない。他方の左脳の心は言語能力は一人前にあるが、感情の体験やその表現に乏しかった。  このようなケースを通して理解されるようになったのは以下のことである。私たちは自然な状態では左右脳に一つずつ心を持っている可能性がある。しかしそれらは脳梁により連絡を取り合っているために、両者の間での合意や妥協形成がなされ、結果として両者が一つになっているという錯覚を抱いている可能性があるのだ。 

多重人格状態において生じているマルチコア

 さて今回のテーマは、私達の脳が、多重人格状態を説明するようなマルチコア的な性質を有するかということであった。その前提として、私達の脳はそもそも初めからデュアルコア的であることをこれまでに説明したのである。ただしこのことが、私達の脳が多重人格状態を示すことの説明になっているかと言えば、残念ながらそうではない。例えば次のような仮説でさえ設けることが難しいのである。
「いわゆる二重人格、すなわちAさんという人格とBさんという人格を持つ状態については、それをそれぞれが左右脳の何方かに宿っているものと想定することが出来る。」
 これが正しいのであれば、どんなに話は分かりやすいだろうか。私達はよく二重人格状態として「ジキルとハイド」のことを考える。(ご存じの通り、スティーブンソンの「ジキル博士とハイド氏」という小説に由来する。)ただしDIDにおいては、たとえ二人の人格を有する人についてもこのモデルは使えない。すでに述べたとおり、右脳は言葉を操ることが出来ないというハンディを負うが、DIDの人格たちは通常はどの人格も普通に言葉を話す。それどころか独特のアクセントを持っていたり、幼児語で話したり、外国語を操ったりするのだ。
 しかも大抵のDIDの方は三つ以上、しばしば二けた以上の人格を有するという事実がある。そしてそれらいくつかの「コア」は左右脳のどちらかに限局されることはなさそうなのである。むしろいくつものソフトウェアがコンピューター上で同時進行をするように、いくつものコアがかなり自由奔放に脳を使って活動をするようなのである。ではその「コア」を構成するものは何か?