脳梁の切断という大胆な手術
左右脳のかけ橋である脳梁を切り離すという、大胆な手術が行なわれ始めたのは1940年代の事であった。最初に施術した医師はよほど勇気がいったことだろう。しかしそこには医学的な理由があったのだ。当時重症の癲癇の患者さんを扱っていた医師が、治療の最後の手段として、左右の脳を切り分けることを思いついた。その原理としては、一方の脳に発生した癲癇の波が脳梁を通して脳全体に広がることを防ぎ他方の脳に広がらないようにするためであった。そして実際にこの手術で著効を示す患者さんが沢山いたのだ。こうして結果的に左右の脳が切り離された患者さんが数多く出現することになったのだ。
ところがこの脳梁離断術を受けた患者さんの一部には次のような奇妙なことが起きることが知られるようになった。左の脳 (右半身の体の活動を支配する)と右の脳 (左半身の体の動きを支配する) がバラバラに機能するということが起きたのだ。あたかも二つの別々の心があるように。たとえば右手でボタンをかけようとしても、左手ではそれを外そうとするということが起きたのだ。
左右脳が別々の心を持ちうるという発想がなかった当時の医者たちにとってこれは驚くべき事であった。その後この脳梁離断術を行わなくても、脳梗塞や脳出血などで脳梁が破壊された人でも、やはり左右脳の情報の交換が出来なくなって離断脳の状態になることが分かった。その様な場合に患者は脳梁を切断された人と同様に、左右の脳はいわばバラバラに動き出すことが分かったのである。その場合にも一つの手が自分の意志に逆らって勝手に動き出すという症状を示し、いわゆる「他人の手症候群 alien hand syndrome」と呼ばれるようになった。
このようなケースを通して理解されるようになったのは以下のことである。私たちは自然な状態では左右脳に一つずつ心を持っている可能性がある。しかしそれらは脳梁により連絡を取り合っているために、両者の間での合意や妥協形成がなされ、結果として両者が一つになっているという錯覚を抱いている可能性があるのだ。