2023年7月23日日曜日

連載エッセイ 6の6

 人間の脳は少なくともデュアルコアである

以下は前著(解離性障害と他者性、2022)のp.102以降の抜粋を多く含む。

 脳は右脳、左脳に分かれている。その組織は脳幹部や松果体という部分を除いてそれぞれ左右一対が備わっている。だから右脳も左脳も、それぞれが独立したシステムということが出来るのだ。ただし左右脳は脳梁という橋渡しにより連携している。脳梁は二つの脳の間を約二億本と言われるケーブル、すなわち神経線維による連絡路なのだ。下の図は脳の左右を押し開いて、その脳梁の部分が露出するように描かれている。

 この脳梁というケーブルにより、左右の脳はものすごい速さで情報をやり取りしているので、右の心と左の心という二つの心を持っているという自覚がない。 でも実際はそうなのだ。

104) (Edelman, GM, Tononi, G, 2000) より

もしこの脳梁が切断されたとすれば、そのことが分かることが知られている。例えば一方の脳に発生した癲癇の波が他方の脳に広がらないようにするために、この脳梁が切断されるということがある。するとなんと左の脳 (右半身の体の活動に表される)と右の脳 (左半身の体の動きにより表される) がバラバラに機能するということが起きる。たとえば右手でボタンをかけようとしても、左手ではそれを外そうとするということが起きる。これはまるで二人の別々の人間が体の中に存在しているかのような事態である。そしてこのことは、実は私たちは自然な状態では二人の心を持っているものの、それらが脳梁により連絡を取り合っているために、両者の間での合意や妥協形成がなされ、結果として両者が一つになっているという錯覚を抱いている可能性があるのだ。そのような右脳と左脳は互いに葛藤関係になる可能性があるが、それは私たちが自分の心に起きていることを少し反省してみることである程度は自覚的になれるかもしれない。  例えばあなたがダイエットをしていて甘いものをなるべく控えようとしているとしよう。しかし夕食後についいつもの週間でチョコレートをひとつつまもうとする。すると心の中で「ちょっと待った! 間食はやめることにしたんじゃないの?」 とたしなめる自分の声がするだろう。いわゆる葛藤を体験することになるのだ。そしてその声を聞いた後に最終的にチョコレートを口に入れてしまおうか、それとも我慢しようかという結論を出すであろう。それは強い方の声に従った結果かもしれないし、そんなことでいちいち迷っていられないので心の中で適当にサイコロを振った結果かもしれない。ともかくもこのような葛藤は私たちが日常的に数多く体験していることのはずだ。そこではおそらく二人の自分が戦うということを意識することなく、妥協をして自分の中でその矛盾を収めることになる。ところが離断脳の場合はまさにその葛藤を体験できず、右脳と左脳がお互いに他者同志として共存し、異なる行動を取ろうとするのだ。

 ところで脳梁が脳梗塞や脳出血などで破壊されても、やはり左右脳の情報の交換が出来なくなって離断脳の状態になり、脳梁を切断された人と同様に、左右の脳はいわばバラバラに動き出す可能性がある。それがいわゆる「他人の手症候群 alien hand syndrome」と呼ばれる状態である。その場合には一つの手が自分の意志に逆らって勝手に動き出すという症状を示し、それは一般的には拮抗失行と呼ばれ、右手が随意的、意図的な行動を行おうとすると、左手がそれに関係ない、あるいは拮抗する動きを見せる。  さらにこの離断脳の状態は難治性の癲癇の治療のための外科手術により結果的に生じることもある。ただしこの脳梁の部分に麻酔薬を注入することで、この離断脳状態を一時的に人工的に作ることが出来る。