2023年7月19日水曜日

連載エッセイ 6の3

 脳で何が起きているのか?

 さて解離とは何かを読者の皆さんにもなるべく直感的に分かってもらえるように、幽体離脱の例を挙げた。もし自分が、あるいは目の前の友人か゚家族が解離を起こした場合、それを体験的に理解しようとしたら幽体離脱のようになる。これは体験としてそうなるという事ではあるが、その時に脳科学的に何が起きているのか、ということについては、本当のところ何もわかっていないとしか言いようがない。考えても見て欲しい。心は脳の活動から析出する、というのが私たちの基本的な考え方である。いわゆる「随伴現象説」だ。そしてその心の存在は、その人の言葉や表情や行動により表される。これもいい。ところがその人は、ある時は私はAだ、と主張し、また別の時は自分はBだという。これをどう説明することが出来るだろうか。

 この議論を進めるにあたり、コンピューターのアナロジーに勝るものはない。そこで「自分はAだ」と名乗っている時には、Aというアプリ、ないしはプログラムが起動していると考えよう。そして今度は「自分はBだ」という時はBというアプリが起動している。このようなアナロジーを考える。そしておそらく一番好都合なのは、AというアプリとBというアプリが互いにスイッチすると考えることだ。このように考えると人間の脳の働きについて、何も特に新しいシステムを考える必要がない。人の心は常に各瞬間には一つの心しか起動していないことになる。

 ただしアプリAは、アプリBが立ち上がるや否や、あるいはその前の瞬間に終了しなくてはならない。昔のファミコンでいえば、二つの別々のゲームA,Bというカートリッジをさっと入れ替えることになるだろう。何しろ二つを同時に差し込むことなどできないのだから。これを「すり替わり説」と呼ぼう。実はこのすり替わり説は、かのフロイトが考えていたアイデアであった。フロイトは「心は一つ」主義者であったが、多重人格のことがどうしても気になったらしい。そして後年これについて次のように述べている。(挿入)「速い話が、人格Aと人格Bがあり、意識はそのどちらかに素早くスイッチしているだけだ。」

  ところが実際はこうではないことを私たちは知っている。それは幽体離脱を体験した人が証言することだ。「私は自分自身を外から見ていました。」「私は後ろに視線を感じていました。」 つまりこれが暗に示しているのは、アプリAとアプリBは同時に起動していて、互いを意識しているということになる。「カートリッジすり替えモデル」は現状に合わないのだ。

 さてコンピューターの操作に慣れている私たちは、実はこのことに驚かないだろう。ユーチューブの音声だけを聞きながら、ワードで文章を作成する、などのことを私はしょっちゅうやっている。複数のアプリの同時の起動など当たり前のことなのだ。

 この仕組みは次のようだ。昔コンピューターが一つのCPU(中央演算装置)しか持っていなかった時は、「タイムシェアリング」というテクニックを用い、ある瞬間にはアプリAを、次の瞬間はアプリBを、と行ったり来たりしていたのだ。つまりはフロイトの「すり替わり説」だったのである。どうりで昔のパソコンは、同時に二つのプログラムを立ち上げると、どちらも「遅く」あるいは「重たく」なったり、すぐフリーズしたりしたものだ。

 ちなみに最近ではコンピューターはマルチコアなので、デスクトップなどだとたとえば8つ積んでいたりする。するとそれぞれのコアが一つのアプリを担当して専門にやるということが出来る。こうなるといくつものアプリを立ち上げていても、どれもがサクサク動くのである。