わかりやすい例としてしばしば取り上げられる色彩について考えよう。私達はたとえば黄色と橙を異なるクオリアとして体験する。そして黄色というクオリアは、目の網膜に到達する光の波長が570 nm の場合に生じ、橙の場合は 590 nm の際に生じるということが分かっている。しかしここでもう少し厳密に考えてみよう。「脳内の変化がクオリアに影響を与えることはわかりました。でもそれとは逆に、クオリアが脳に変化を及ぼすという可能性はないのですか? つまり脳の方が心の随伴現象という可能性はないのですか?」
あるいはこう言うとわかりやすいかも知れない。「心が自由意志を用いて『こうしよう!』と思ったら、脳がそれについてくる、という順番は考えられないのですか?」
たしかにこのような発想も成り立つかも知れない。そして一昔前なら私たちはその可能性を否定する根拠を持っていなかった。しかし現代の私たちは、この順番はどうやら成立しないということを知ってしまっている。それが「自由意志と0.5秒問題」なのである。そしてこの問題の発見により、結局は「心は常に脳の変化の後についてくる」という事実を私たちは受け入れざるを得なくなったのだ。つまり私たちが自由意思に従って何かを行ったとしても、その少なくとも0.5秒前に脳がその準備をしているということが明らかになっているのである。
事の発端は、1965年にドイツの二人の研究者が行なった実験であった。彼らは人間が決断を下した時の脳波の測定をしていたがたが、ある不思議なことに気が付いた。被検者に「好きな時に自分の指を動かしてください」と言うと、指が実際に動いた瞬間の一秒前に、すでに脳での活動が開始されていたのである。ある瞬間に指を動かそうと決めて実際に動くまでには、せいぜい0.2秒くらいしかかからないことがわかっている。すると脳はそはるか前に、脳がそのお膳立てをしていることが分かったのである。彼らはこれを準備ポテンシャル readiness potential と呼んだのだ。(図では「0」が実際に指が動いた瞬間を示す。)
Kornhuber, HH & Deecke, L (1965) Changes in the Brain Potential in Voluntary Movements and Passive Movements in Man: Readiness Potential and Reafferent Potentials. Pflügers Archiv für die gesamte Physiologie des Menschen und der Tiere. 284:1-17
「脳の変化により心の変化が生じるが、心の変化が脳の変化を引き起こすわけではない。」
脳波という目に見えるエビデンスにより示されたこの事実が意味するところは大きい。端的に行って、私達が自由意志と思っていることは錯覚だったということになるのだ。
デネットのいう、意識やクオリアは錯覚であるという主張は、私たちの自由意思は、実は脳により先んじられていたことを考慮した場合、私たちの自由意思はまさに錯覚ということになる。そしてまさしくその前提に立ったのが前野隆氏の受動意識仮説である。そちらに耳を傾けてみたい。彼の説はクオリアにまつわる頭の痛くなるような議論を颯爽と回避しつつ、このテーマについての有用な指針を提供してくれるのだ。