2023年7月21日金曜日

連載エッセイ 6の4

 さて、人間の場合はどうか。上記のタイムシェアリングとマルチコアは人間の右脳でも可能だろうか?おそらく私たちの脳に起きている可能性のあるのは、タイムシェアリングである。例えば私たちは他人に対して何かを言うとき、「これは聞いている方からはどう取られるだろう?」ということをよく考える。あるいは何かを言う前に、今私がこれを言ったら相手はどう感じるだろう?と考えることがある。ある種の共感能力といっていい。「相手の立場に立って考える」というのは私たちの心の基本的な性質や能力として備わっていると考えていいだろう。ただしこれがコンピューターのタイムシェアリングと違うのは、おそらく相手の立場に立って考えることには一定の時間を使うであろうし、おそらく一瞬の隙間時間では済まないであろうということだ。自分がある衝動に駆られて何かをしようとしているとき、相手がそれをどう感じるかを知るためには一定の時間や余裕が必要となったりするものなのだ。つまり脳におけるタイムシェアリングはパソコンのような瞬時の入れ替わりが不可能だということだろう。

その一つの例として私が挙げることが出来るのが、以下の騙し絵である。これは有名なルビンの壺であるが、二人の人間の横顔が向き合っていると取るか、それとも燭台を前にした一人の顔をとして見るかは、それぞれを一度しかできない。高速でスイッチして、両方が見える、という状態には至らないのである。

(Edelman, Tononi, 2000, p.25)Edelman, G., & Tononi, G. (2000). A Universe of Consciousness. New York: Basic Books.




実はこの件、前書(解離性障害と他者性、2022)で結構書いている。こんな内容だった。

「この様に考えるとスイッチングにより二つの意識状態を取ることが出来るというのはそれほど生易しいものではない。ちょうどこのだまし絵(図5-4、Edelman, Tononi, 2000 より)で、一人の顔を見ている意識状態と、二人の顔を見ている意識状態が「共存」しているとはとても言えない状態であるのと同様に、スイッチングにより二つの意識が共存しているような状態はとても作れないであろう。(同様の議論は、第7章を参照。)ちなみにこの二つの意識状態の素早い入れ替わりというアイデアは、すでにFreudが提出していることを思い起こそう。それが第3章でFreud の「振動仮説」として紹介したものである。(p。58)

「FreudとBreuerの考えの違いを追い、そもそもFreud はヒステリーの原因を一つに絞る上で、Breuer の類催眠—解離理論を捨てたという経緯があったことを以上に示した。Freud は「自分自身はこの類催眠状態を見たことがない」とし、代わりに内的な因子である性的欲動を中心に据えた理論を選択した。しかしFreud は解離や多重人格という不可思議な現象のことを本当に忘れたわけではなかった。
 実はFreud はこんなことを1936年に書いている。

離人症の問題は私たちを途方もない状態、すなわち『二重意識』の問題へと誘う。これはより正確には『スプリット・パーソナリティ』と呼ばれる。しかしこれにまつわることはあまりにも不明で科学的にわかったことはほとんどないので、私はこれについては言及することは避けなくてはならない。」(Freud, 1936. p245)

つまり Freud は解離を否定しつつも、多重人格状態に関する仮説的な考えを表明していたのだ。1912年の「無意識についての覚書」の中でフロイトは多重人格について、いわば「振動仮説」とでもいうべき理論を示している。

意識の機能は二つの精神の複合体の間を振動し、それらは交互に意識的、無意識的になるのである (Freud, 1912,p.263) 。
また1915の「無意識について」でもやはり同じような言い方をしている。

私たちは以下のようなもっととも適切な言い方が出来る。同じ一つの意識がそれらのグループのどちらかに交互に向かうのである。(Freud, 1915, p.171)

 ここで注目されるべきは、「ある一つの同じ意識 the same consciousness」という言い方だ。同じ一つの意識がそれらのグループのどちらかに交互に向かうのである。つまり結局意識は一つであり続けるという事になる(Brook,1992)。