久しぶりにこのテーマに戻ってきた。
男性の性愛性と嗜癖モデル(またはドーパミン問題と対象をモノ扱いする傾向)
「もっと! : 愛と創造、支配と進歩をもたらすドーパミンの最新脳科学。」(ダニエル・Z・リーバーマン, マイケル・E・ロング他.
Lieberman, D (2020) the Molecule of More.
この本は本テーマに関するまたとない参考書である。
心理学では長い間定説となっていた前提があった。それは「すべての快楽は最終経路であるドーパミン経路を通過する。あらゆる快はドーパミンが支配する。」彼の提言は、それを覆すことになる。
私はずっとこれを信じて来たので、それにそぐわない事態をどのように説明したらいいかがわからなかった。この本に書かれていることはそれに一つの答えを出しているし、脳科学的にはそちらの方が常識になりつつあるのだ。彼の主張を一応「欲望」と「満足」と分けよう。両者は違う、ということを彼は主張している。欲望は未来において得られるものを願望することであり、満足とは現在において満たされる体験を言う。これらは脳内において別々の部位で、別々の化学物質により支配されている。前者はドーパミンであり、その舞台は側坐核や前頭前野、後者は彼が今ここでHere and Now(”H & N”)の物質、すなわちセロトニン、オキシトシン、エンドルフィン、カンナビスであり、その活動部位は脳内のいくつかの場所に分散してる。
前者はもっと、もっとという追及を促すのに対して、後者は現在の体験による満足を与える。前者は「もっと、もっと」という心境、つまりもっと刺激を、もっと驚きを求めることを促す。そしてその追及の為に感情や恐れや道徳心が犠牲となる。つまり「今は持っていない」ということこそが問題となる。それは期待を意味する。他方ではH&Nでは「今持っている」ということが問題となる。
ここまでで確かなことは、男性の性愛性においては、明らかに前者なのだ。例えばプレゼントを受け取ると、それが包み紙に覆われていることで、それを開けて見たい、という願望が生まれる。そしてそれが包み紙の中から現れた時点でピークに達した後にその喜びは失われていくという。
ここでの議論は、いわゆる incentive sensitization model に従った議論ということになる。この理論の提唱者であるKent Berridge の論文を参考にする。
Berridge, K. C., & Robinson, T. E. (2011). Drug addiction as incentive sensitization
Addiction and responsibility, 21-54. The MIT Press.