2023年6月10日土曜日

意識についてのエッセイ 1

  意識の働きについて考える上で、一つ気になっていることがある。意識に関する有名な理論であるフリストンKarl Friston の「脳の大統一理論」と、ドーパミンの「報酬予測誤差」の理論とは似たところがある。二つの説ともある特徴的な推論に従って意識活動を理論化する。それは私達の生や意識は、常に予測と実際の誤差を知り、それを最小にすることにそのエネルギーが注がれるということである。
 フリストンによれば、彼の提唱する自由エネルギー原理は数式を使って、ニューラルネットワークでの処理として表すことが可能であるという。私達は常に社会生活の上で他者の心のうちを推測している。すなわち共感は彼の理論の範疇ということであろうか。私たちが生きているということは常に「外環境」を予測して動くということである。もし予測通りにことが進むと、世界は安全で御しやすく、そこで用いる心的エネルギーも最小ということになる。極端な話、そこに予想外な事や驚きが存在しなければ、すべてが無意識裏に生じるということにもなろうか。すると意識活動とはこの予測誤差の検知ということに費やされるということになる。意識化されるということは、何か新しいことが起きたということを意味し、それは記憶に残るということになる。
 一例をあげるならば、朝の電車が定刻通りに駅に到着することを予想する。そしてそのために時間を合わせて自宅を出、駅に向かい、首尾よく勤務先の最寄りの駅に到着する。すべてがスムーズに行ったことになる。ところが電車の遅延があり、いつもより30分も遅れて会社に到着することが予想されると、そこで仕事の予定が大幅に変わり、それによる様々な不都合が予測される。するとあなたは次の日から、電車の遅延が起きる可能性を考え、それに対する予防策、例えば朝の出勤の時間を少し早くする、などの手段を講じるだろう。
 さて、これと報酬とドーパミンシステムに関するモデルは似ている部分がある。シュルツWolfram Schultzは、ドーパミン系は報酬予測誤差reward prediction errorを検知していると言った。これは大統一理論と全く別のことを言っているかと言えば、そうでもないかも知れない。しかしフリストンのモデルではあまり扱っていない重要な「予測」について扱っていることになる。
 シュルツによれば、私達は世界が自分に与えてくれるであろう満足体験を予測する。ある期待を持つとそれに向かって進むことが出来る。いわゆる動機付けだ。たとえばサラリーマンは蒸し暑いオフィスで仕事をしながら、夕方ビアホールに行って一杯やるつもりだ。それだから頑張れる。ところがいざ仕事が終わりお目当てのビアホールに赴くと、「本日閉店」の看板がかかっている。報酬予測が外れたことであなたはひどく落ち込む。
 以上の一連の事象にドーパミンが絡む。脳にドーパミンが枯渇している場合(ネズミなどによる実験では実証済み)には、数時間後のビールのことを考えても、「よし!あと数時間の仕事を頑張ろう!」というモティベーションは恐らく生まれない。ドーパミンシステムが機能しないと、動機づけがそもそも起きなくなる。これはうつ病でやる気が失せた状態に相当する。ただしドーパミンなしでも、ビールを口にした時の「おいしい」は問題なく体験できるという。そこが面白いところだ。
 あるいはおそらくその逆の場合にも同様にドーパミンが関与しているであろう。たとえばあなたは会社での仕事が終わった後ジムでトレーニングをする予定だとする。ジム通いをあなたは人に勧められて仕方なく行っているが、実は嫌で嫌で仕方がない。「あと数時間でまたあの嫌なジムでのトレーニングか」とおもうと午後の仕事のモティベーションが一気に下がってしまう。しかしいざ重い足を引きづってジムに向かうと「本日休業」だった。あなたは幸せな気持ちになるだろう。
 この後者の苦痛の予測の問題は恐らく、フリストンのモデルに直結している。考えてもみよう、このいわば情動部分の動きを考慮せずに予測をすることにどれほど意味があるだろうか。