2023年6月21日水曜日

意識についてのエッセイ 5

 今回はいよいよ脳科学にとってまさに本丸と言える問題、つまり意識について論じたい。このテーマについて論じることはある意味で気楽で、また別の意味で非常に荷が重いのだ。気楽であるというのは、今のところ誰も一つの正解に至っていないからだ。だから私自身の勝手な仮説を立てても、よほどのことがない限り誰かに真っ向から否定されることはないであろう。荷が重いというのは端的に、このテーマが難問中の難問 hard problem (チャーマーズ)だからであり、そのこと自体が常識と化しているからだ。

 さて意識についての最近の研究で気になる理論を三つ挙げておきたい。一つはいわゆるクオリアをめぐる問題だ。クオリアqualia (複)とは要するに質感ということだがバラの花のあの感じ、と表現されるような「感じ」として私たちがいつも日常生活で体験するものだ。

ちなみにDaniel Dennett はクオリアの要因として4つの特性を示した。

INEFFABLE, 言葉で表せない - 他者と伝達できない。その体験そのもの以外の何物によっても捉えられない。

INTRINSIC, 内在的である - 相対的とか相関的なものではない。その体験自体とは別なこととの関係に依存しない。

PRIVATE, 本人にしかわからない - クオリアについて人間相互で系統的に比較することはできない。

directly or immediately apprehensible by consciousness, 知覚によって直接ないし即座に捉えられる - クオリアを体験することは、クオリアを体験する者を知り、なおかつそのクオリアについて知るべきすべてを知ることである。

クオリアがどういったものかであると定義するかには様々な考え方があるが、おおよそ次にあげるような性質があるものとして議論される。

 ところでこのクオリアは用いられ始めたのはかなり古く、1929年、哲学者クラレンス・アーヴィング・ルイスが著作『精神と世界の秩序』[23]において現在の意味とほぼ同じ形でクオリアという言葉を使用したという。これが意識の本質であるという。この議論は極めて多くの人々により信奉され、私もその一人であるといっていい。そこでの主張は、ようするに神経細胞の興奮の結果としてクオリアが生じるというものであり、私たちが主観的に体験するあらゆる表象は、脳内の神経細胞による「随伴現象」(epiphenomenon)であるとされる。ところがそれに対して異を唱えたのがオーストラリアの哲学者デイビッド・チャーマーズであった。「クオリアは自然界の基本的な要素の一つであり、クオリアを現在の物理学の中に還元することは不可能である。意識の問題を解決するにはクオリアに関する新しい自然法則の探求が必要である。」というわけで、しかしこれならサーモスタットにさえ意識体験があるという汎神論を含むと批判された。言わばデカルト的実体二元論の復活であるという批判だ。

ちなみにこのクオリア論は、ダニエル・デネットや、またわが国では茂木健一郎が有名とされる。