2023年6月20日火曜日

意識についてのエッセイ 4

 トノーニの説の概略は以下のとおりである。
 各ネットワークがどの程度情報量をためることが出来るかについては、以下のように考える。

 下の図に示すとおり、8つのノード(神経細胞を表す)の間の連絡路をどのくらいかと考え、その量をΦ(ファイ)として示す。
 これは要するにそれぞれのネットワークがいくつもの異なる興奮の組み合わせを有することが出来るか、ということである。たとえば上段左のネットワークは四つの部分がそれぞれ分かれていて、どこを刺激しても隣の神経細胞に信号を送るだけの単純な反応しか起こさない。上段右の図はたくさんのパターンを有するようで、実は全体が一緒に興奮するだけという少ないパターンしか有しないという風に、である。そして真ん中のΦ=74として示されているものが一番多くの情報量を含むというのだが、これは一見簡単な構造のようであるが、コンピューターで複雑な計算をした結果導き出されたものであるという。
 それが証拠にどこか一つに刺激を与えるとその信号が次々と伝達されてしばらくはそのネットワークが「鳴り続けて」いることになる。
 この議論については、本連載第2回の“Locked-in syndrome”に関する議論のところで触れている。

 Massimini,M., Tononi, G (2013) Nulla di più grande. Dalla veglia al sonno, dal coma al sogno: il segreto della coscienza e la sua misura. Baldini-Castoldi Editore, 2013 (マルチェッロ・マッスイミーニ、ジュリオ・トノーニ著、花本知子訳 意識はいつ生まれるのか 脳の謎に挑む統合情報理論 コトモモ社、2015)
さてここで問うてみる。一定度以上のΦを有するということは意識を持つことの必要条件であろうか?
おそらく是、であろう。というのも私たちがあることを理解していて、それをいかような形でもアウトプットできるというのはそういうことだから。例えばもし私たちの心が「リンゴ」を知っているとしたら、それがシンプルにも複雑にも表現でいることが出来、個別のリンゴのさまざまなバリエーションをわかっていて、それを異なるタッチの絵としてかくこともできるであろう。つまりネットワークを自在に改変することが出来るわけだ。
 ただし、では十分条件かといえばそうでもないかもしれない。例えば私たちはすでにチャットGPTがある文章を要約したり、やさしく説明したり、それを様々に言い換えたり、翻訳したり、ということが出来る。それはまさしくこのΦに関する説明に合致しているように思える。しかし私たちは今のところそこにあるのは【心】でしかないと考えているのだ。心がないはずのAIもまたネットワークを自在に改変しているような様子を見て私達は何を結論付けることが出来るだろうか。