2023年6月15日木曜日

学派間の対立 4

  なぜ私は学派に拘るのか。色々考えているうちに、これは私の性格の問題かもしれないと思うようになった。精神医学や精神療法の世界にいると、腹が立つことがたくさんある。そして私の学派の選択はそれの反映であり、学派間の対立もその視点から見てしまう。学問的な立場の対立はそれぞれの考え方の違いから生まれるのであろうが、精神分析における対立はその人の持っている治療態度を反映している気がする。それは治療者としてのおごり、傲慢さ、あるいは自己愛の問題である。私が学派を選ぶときは、かなりこの観点から行っていることが多い。
 やはりはるか昔、1990年代の留学先メニンガー・クリニックの頃の体験である。留学した当初はまだ何も資格を持っていず、病棟で精神力動的な治療方針に従って治療が行われていたのを一見学者として見ていたが、不思議に思ったり憤慨したりするということはとても多かった。私は「国際留学生」という非常にあいまいな立場で患者に会い、治療者ではないがオブザーバーという見地から患者の話を聞くことがあった。そのせいか患者の何人かはいろいろ気兼ねなく日頃の鬱憤などをぶつけてきた。そこで出会う患者の多くは病棟での扱われ方に憤慨していたように思う。それは概ね病棟での制限的restrictiveな雰囲気に向けられていた。
 病棟で患者はLORlevel of responsibility、責任レベル)を与えられ、それに従って行動していた。入院したばかりの患者はそれだけ重い(軽い)LORを与えられ、一人での外出を許されなかった。そして徐々に慣れるに従い、それが上がり、スタッフとの外出がOK、患者同士の外出がOK、最後に単独での外出がOKという風に上がっていく。一種の階級制度のようだが、時には処罰的なニュアンスも含まれていた。病棟内での他の患者とのトラブルなどがあると、レベルが下げられ、外出禁止になるなどの仕組みが見られた。スタッフとの対立や病棟の風紀を乱すような行動の場合にもレベルが下がった。しかしスタッフはより低いレベルのLORに置かれることを、患者に対して処罰的な扱いをしたとは考えず、責任レベルが低下した、すなわち「負うべき責任を軽くしてあげた」というロジックで伝えていた。当時の私にはそれが詭弁のように思われた。私はこのことをその頃一緒に留学をしていた福井敏先生とよく話し合ったものである。彼もまた同じような意見であった。
 もちろん病棟運営で患者に行動制限を課すということはしばしば行われ、それだけの意味を持つことも多い。病状の重い人は保護室での管理から始まり、徐々に閉鎖病棟の個室に移され、徐々に大部屋に移り、より回復が見られたら解放病棟に移る、などはごく普通に行われている。それは治療者の側の管理の観点からも、また患者の安全を確保することからも必要とされることが多い。しかしそれは容易に処罰的なニュアンスを持ち、患者の管理の手段としても使われる。メニンガーの病棟でも同じことが行われていたと思えばいいのであるが、より厳しい管理をしながら「あなたが負うべき責任を軽くしてあげているのですよ」という言い方がどうも受け入れがたい。そこにどうしても一種の欺瞞を感じてしまう。ちょうど私も病棟の患者のように外国生活で色々な不自由を感じ、患者の立場に同一化する傾向にあったのかもしれない。すると病棟のスタッフ、特に医師の権威的な態度は特に鼻についてくる。
 この様に書くと私の精神分析における学派の選択は、結局一点に絞られてくるような気がする。治療者が権威的にふるまっていないか、分析理論を権威を振るう口実に使っていないか。どうしてもこの一点にかかってくるのである。このエピソードを書いていてよくわかった。私が気に入らない学派は、そこに分析家としての権威主義が透けて見えるような印象を与えるものである。