2023年5月31日水曜日

トラウマとPD 1

 新しい「大人の事情」が来た。8月入稿。

 トラウマとPD

 パーソナリティ障害personality disorder (以下PD)に関する議論は大きく様変わりをしているし、またその様な運命であるという印象を受ける。DSMにおいて多軸診断が廃止されたのはその表れと言えるのではないか。PDがいかに分類されるべきかという問題とともに、そもそもPDとは何かという、いわばその脱構築が問われるような動きが起きているのではないか。

 かつて私が論じたのは、以前のような意味でのPDはその一部が次々と別のものに置き換わる可能性があるということである。そもそもPDとは思春期以前にそのような傾向が見られて、それ以降にそれが固まるというニュアンスがある。その意味でPDと呼べるものはあまり残っていないのではないかという印象を持つ。
 以下は私の印象である。もっとも筆頭にあげられるべきBPDはいったん置いておこう。従来それと同列に扱われることも多かったスキゾイドPDについては、それと発達障害との区別はますます難しくなってきた。スキゾタイパル、スキゾフレニフォルムなどはDSMでは統合失調症性のものとして改変されている。
 また自己愛性PDについては、それが置かれた社会環境により大きく変化して、あたかも二次的な障害として生まれてくる点で、従来定義されているPDとは異なるニュアンスがある。 
 更にはDSM-5ICD-11 に見られるいわゆるディメンショナルモデルへの移行がそもそもPDの脱構築に大きく貢献していると言わざるを得ない。もしこの議論に従うとしたらPDはそれぞれの人間が持っている、遺伝的な素因にかなり大きく左右されるような要素の組み合わせということになり、カテゴリカルな意味はますます薄れる。いつかどこかで書いたが、例えばジャイアン型PD,のび太型PD,スネ夫型という明確なカテゴリーを思い描く傾向にあった。
しかしいざ実際の人々を分類して行ったら、典型的なジャイアン型もすね夫タイプも意外と少なく、結局はジャイアン30%、のび太30,スネ夫30%付近の人ばかりになり、結局は「ドラえもん混合型」PDの人ばかりになってしまったという感じである。(実際には混合型PD)それならその通りそれぞれの%で記載していった方が合理的になるが、結局「ジ303030PD」ではその人のプロフィールを直感的に思い描けないという問題になるのだ。
(図はのび太50%+スネ夫50%=トンガリという説。)https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2208/24/news143.html

 私は個人的にはカテゴリーモデルを捨てきれないが、その候補として残るのは恐らくBPD,NPD,反社会性、回避性くらいということになり、これはまさしくDSM-5 の代替モデルで最終的に提唱されたカテゴリーに近いということになる。

ただしその中でしぶとく生き残るのがBPDなのだ。