2023年5月26日金曜日

社会的なトラウマ 7

 男性の性的性質 male sexuality とトラウマ 特にセクハラについて

一つの事実として私が取り上げたいのは社会で問題となる性加害と、男性の性愛性との関係である。目を疑うような性的加害がニュースで取り上げられる一方で、おそらく極めて頻繁に、さほど話題にならないような性加害が起きているだろう。満員電車の中での痴漢行為や盗撮などは明らかにならないケースは相当あるはずだ。

しかしそれらのよりローカルな性加害にかんしてしばしば特徴づけられるのは、それが一見犯罪性を感じられないような人物により行われていることである。普段は温厚で犯罪を起こすような人には見えない男性が、魔が差したように起こす犯罪。

そこにはしばしば男性の持つ「劣情」が指摘される。ネットで辞書的な定義を調べると「いやしい心情。また、性的な欲望や好奇心をいやしんでいう語」(精選版 日本国語大辞典)。主として性的欲望に関わるものであろうが、金銭欲、名誉欲にも関係しているかもしれない。そして性的加害のかなりの部分がこの「劣情」を満たすための行為と形容されるのではないか。この言葉の便利な点は、人間の欲望には様々なレベルのものがあり、この劣情を持つことがそのまま男性の価値を落とすことにはつながらないという視点を与えてくれることだ。しかしこの劣情に負けて行った行為はしばしば加害行為という形を取ってしまうということであろう。道徳的には許されないと思ってもそれを満たそうとしてしまう行為。

似たようなものとしては薬物依存やギャンブル依存があるかもしれない。かつて検挙された人間が覚せい剤を再び使用することで罪に問われるばかりでなく社会的な生命も奪われかねないような場合に、それでもその願望に負けてしまう場合、それもこの「劣情」にかなり近いであろう。

すると後者の場合には嗜癖という病と考えらえるのに比べて、性的な劣情はそうではないというのはあまり合理的ではない。その意味では性的な劣情に捉われた場合の行為は、少なくとも病気としての側面を持っている可能性がある。その人の人格の他のあらゆる面で道徳的な問題がない場合は、むしろ病的なニュアンスが強く、またその人がその他の行動もサイコパス的な非道徳的な面が見られるのであれば、その人の反社会性が問われるということだろう。つまりセクハラをしでかす男性の一定の部分に、むしろ病的な面が目立つタイプが多いのかもしれない。もちろんこのように書くことは、決して彼らの行為の免責にはつながらない。彼らの加害性をどのように抑止するかを探るための一つの考えを示しているに過ぎない。