2023年5月25日木曜日

連載エッセイ 4の5

    脳で行なわれているのは、適者生存、というよりはダーウィニズムである

 私の好きな脳科学者にWilliam Calvin という人がいる。その人が提唱していることだが、大脳においては常にある種の競争が行われていて、そこで勝ったものが優先順位を与えられるということだ。さきほどの「結晶構造」の話とも通じるのであるが、脳ではある種のサイコロが振られた後は、どれが主導権を得るかに関しての競争が行われる。それは予断を許さず、あらゆる条件により左右され、ちょうど自然界で二つの異なる種が主導権を巡って争うようなものである。
 私がいつも用いる例は、次のようなありきたりのものだ。レストランで昼食を取った後の飲み物を聞かれ、コーヒーか紅茶を選択することになる。ここで両社はあなたにとって適度に「どちらでもいい」ということが重要だ。その方が例として都合がいい。あなたが圧倒的にコーヒー党であるとしたら、戦いは一瞬にして決してしまい、そこで何が起きたかさえも気が付かないであろうからだ。
 その戦いの際に、両者のうちどちらが選択が決定されるかと言えば、コーヒーを味わっているという先取り体験による心地よさと、紅茶のそれとの比較である。そしてどちらかが頭の中で大勢を占めるまでその戦いが続く。最後は地滑り的な勝利を収めることで、あなたはあとでくよくよ悩むことなく、どちらかを決めることが出来る。そしてこのプロセスは先ほどの結晶の話ともつながる。どちらの結晶がより大きく、相手を押しのける程に魅力的に感じられるだろうか。
 さてこの現象を適者生存、あるいはそれを言い換えてダーウィニズムと呼ぶことにはそれなりの理由がある。というのも非常に多くの場合、勝者は前もってあまり確定していないし、またその時々によってどちらが決まるかは一定していない。そしてどちらがその場に適しているかという事もさして重要ではないからである。両者はあたかもさいころを転がすようにその時の運や流れで決まってしまう。皆さんはあのWBA(ワールドベースボールクラシック)の日本が優勝を決めた最後の瞬間を覚えているかもしれない。ピッチャー大谷がトラウトにはなった直球は、場合によってはトラウトに仕留められ、ホームランになり、日本はアメリカに負け、大谷は敗戦投手になっていたかもしれない。打率3割が期待されるトラウトは三振に倒れるより、大谷が放った三つのストライクのうちの一つをバットに捉える確率の方が高かったであろう。つまり本の一瞬の、それこそどちらに転んでもおかしくない状況で生じた出来事がその行方を決めたわけだ。コーヒーか紅茶かもかなりいい加減な仕組みで決まっていき、その後の行方を大きく左右する。これは例のバタフライ効果とも同じなのだ。