2023年5月24日水曜日

連載エッセイ 4の4

  体験はニューラルネットワークの中のひとつの結晶である

この原則もある意味では非常にシンプルな事実かもしれない。巨大なネットワークの中にある神経細胞のグループが、ある一定のリズムで興奮するとしよう。イメージとしては夜空の星のうちある星座だけがリズミカルに光っている感じだろう。あるいは電光掲示板を思い浮かべていただきたい。駅の掲示板や野球場のスコアボードとして使われているのを見かけるだろう。小さな電球がびっしりと埋め込まれていて、あるパターンを形成する電球だけが光ると、私たちはそこに文字や絵を見ることになるのだ。

私がギフアニメで示した(まだ作成中)のはその例である。例えばこれが「リンゴ」を表しているとする。リンゴはその語の音としてのそれだけでなく、味の記憶、視覚的イメージ、手に持った感触など、様々な体験を併せ持つだろう。だからこのリンゴを代表するネットワークは外から見ても一つのまとまりのあるパターンを形成するかはわからない。それにその「リンゴ」は、その味を思い浮かべているときはその視覚イメージはぼやけるかもしれない。ただしそれはそれを視覚的に思い浮かべようとすればごく簡単にそのイメージが浮かぶ。即ちこのリンゴを表すネットワークはそれ全体が励起して、いつでもその範囲を広げることが出来るようなものと考えられるだろう。

ここで私がなぜネットワークの「結晶」と呼ぶかを説明しよう。このパターンは実は神経細胞間が強い結びつきを持っていて、一時に興奮するように準備されている。そしてそこに参加する神経細胞は管理厳選されている。それはある意味で純粋であり、私達はいつも同じ印象を与えられ、他の塊とは明らかに異なる体験を持つのである。

例を挙げよう。「霧」という字と「霰」という字を思い浮かべる。ご存じの通りキリ、とアラレと読む。ある程度年齢が言った日本人なら、両者は明らかに違うし、読み間違いをすることもないだろう。ただ漢字をあまり知らない外国人や小学生なら両者があいまいになるし、パット見た目は区別がつかないかもしれない。
 霧も霰も、それを区別できる私たちの脳では、異なるグループの神経細胞が興奮することになる。おそらくかなりたくさんの細胞が共通して興奮するとしても、霧の場合には興奮せず、霰の場合には興奮する神経細胞がおそらくあり、その逆もあるはずだ。いわば神経細胞のなす結晶構造が違うわけだ。この結晶は独特の味わいといってもいい体験となる。霧という文字を見て遠くがかすんだぼんやりとした視界をありありと思い浮かべる。それは空からパラパラと氷の塊が降ってくる霰のイメージとは全く異なる。