2023年5月29日月曜日

連載エッセイ 4の6

 5.ニューラルネットワークは複雑系なのだ

さて、ここまで書いて4800字である。そこでこの5を追加することになる。それは脳とは複雑系に属するということだ。読者がもし「フクザツケイって何だ?」という反応なら、この機会に複雑系の世界に飛び込んで欲しい。いや、実は私たちはもともとフクザツケイの世界にどっぷりつかっているのだ。ただ私たちの多くはそれに気が付かないか、認めたくないだけなのである。脳の神経細胞たちがどうして常に揺らぎ、どうして脳の皮質で常に生存競争が行われて、どうして私たちの意識が常にさいころを転がしているのだろうか。それは私たちが複雑系の世界の住人だからである。

複雑系の定義は人それぞれであろうが、それぞれの部分が自律性を有しつつ全体とのインターラクションを起こしながら動いていくようなシステム、ということが出来るだろうか。そして心はまさにそうなのである。

一説によると複雑系というタームや概念は下火になってきているという。しかしそれは結局はあらゆるものが複雑系としての性質をまとい、その意味ではあえて脳は複雑系だという表現自体が陳腐になってしまったからであろう。しかし脳の在り方が複雑系として理解されるべきだという主張は常になされるべきであろう。というのも人は結局は因果律によって物事をとらえようとする性質を逃れることが出来ないからだ。

ある自分にとってうまく説明できないような出来事があった時、私は何が原因であろう、と考える。自分に不運な出来事が生じた場合は「何が間違っていたのだろう?」と考える。逆にいいことが起きたら、「何がよかったのだろう?」と考える。私達は生命体であり、身を守る必要性に常に迫られているから、少しでも世の中に起きていることを単純化し、危険を回避し、安全を求め、食物を獲得しようとする。これらの習性は、それ全体としては複雑系を構成する要素の一つとしての振る舞いに合致するものの、きわめて因果論的で白黒思考である。その様な運命を持つ私たちが複雑系としての心をとらえるためにはどうしたいいのだろうか。それはわかろうという努力を控えて体験そのものに浸ることである。そしてそれは非常に難しいことでもある。特に心理士や精神科医として心を扱う立場にある私たちにとっては。

ここで私は初めてこのエッセイで心理士や精神科医に呼び掛けていることになる。そう、このエッセイは「脳科学と心理療法」だったのだ。自分でも忘れかけていたが。

私は基本的には脳科学が人の役に立たないのであれば意味がないとする立場である。AIに心があるのか、などという問いかけをするのも、実はAIを一台自分のそばにおいて話し相手になって欲しいからだ。つまりはセラピストになって欲しいのだ。しかし心がいったいナニモノで、それはどのようにして析出してくるかは、純粋に知的な興味の対象でもある。その手掛かりを与えてくれる可能性の高いAIについての研究はそれなりに意味を持つのである。

そして今回のエッセイで複雑系というタームを用いて表現したいのは次のことだ。

ある複雑系はその中で十分な情報量が扱われ、かつある特殊な結びつき、ネットワークを形成した時に、意識(心)を持つ運命にある。」