2023年5月7日日曜日

連載エッセイ 3-5

 AIは少なくとも【心】である

ディープラーニングが今後さらに進化した場合、その先のどこかで人の心のレベルにまで行きつくのか? あるいはそれを「超える」ことがあるのか? 「超える」としたらどの様な意味で、なのか? これらが私たちに突き付けられた問題である。もちろん古くから問われていた問題だ。ただ人間の脳の機能を凌駕する可能性を秘めたAIの出現で、これらの問いは急に現実味を帯びてきたのである。
 おそらく今のところ、AIは人の心に至っていないということは言えるであろう。ただし一つ確かなことは、現時点において人の心に似たものが存在するということだ。アイフォンやアイパッドが搭載しているSiriが一つの例だ。「ヘイ、シリ!」呼べば、とりあえずは応えてくれる。頓珍漢な答えが多いし、もちろん人の心とは違うことが分かる。ワンちゃんの反応の方に比べても足元にも及ばない。でもそれはこれから進化していき、かなり立派な話し相手になってくれそうだ。
 それを私はここで【心】と言い表したい。いきなり【心】という言葉が出てきたが、実はこれは必要なのだ。というのも私たちの生活にはそれが入り込んでいるからだ。厳密に心と言えるかは別として、何かの応答をしてくれるものに対して、私達は心の萌芽のようなものを想定する傾向にある。早い話が私たちは縫いぐるみに話しかけその表情を読み取ることがある。早い話が運転中にはカーナビを相手に「なんでこんなにバカなルートを示すの!」という経験のない人の方が少ないのではないか。そしてこの【心】の基本的な機能は入力に対する出力である。つまり問いかえれば何らかの答えを返してくれるからである。
 今のところ【心】は心の出来損ない、ということは私たち皆が知っている。それを前提としようではないか。もしそれがどんどん進化して、将来「【心】は本物の心と同等になりました」ということになったら、それはそれでいいだろう。でもそれまでに話し相手としての【心】に重宝しているのであれば、【心】が本物の心かどうかは二の次になるだろう。
 こう書いている現在、世の中ではチャットGPTの話でもちきりになっている。チャットGPTは米国のベンチャー企業である「オープンAI」が昨年(2022年)11月に公開した対話型AIサービスである。それが瞬く間に利用者が億の単位に達し、史上最も急成長したアプリであるという。しかもその開発のスピードは加速している一方で、私達一般大衆はこのチャットGPTの登場の意味をつかみ切れていない状態でいるのだ。
 つい先日(2023330日)も、かのイーロン・マスク氏が、AIのこれ以上の開発をいったん停止すべきだと呼びかける署名活動を起こしたというニュースが伝わってきた。このまま盲目的にAIの開発を続けていくと、人類に深刻なリスクをもたらす可能性があるというのである。つまり私たちは私たちがコントロール不能になる可能性のある代物を生み出し、歯止めが効かなくなるうちにその開発をストップしようという試みである。しかし人々がAIの研究を止めるということなどおよそ想像できない。(ちなみにその後マスク氏は新たなAIを独自に開発するという見解を表明することになった。彼も迷走しているようだ。)一昔前に核兵器が一部の国で作られ始めてその技術が確立してからは、その開発を停止するいかなる努力も意味がなかったのと同じである。(現在では世界全体の核兵器は10000を優に越えているというから驚きである。)
 心と【心】は永遠に別物かも知れないが、心とよく似た【心】の存在はチャットGPTの登場により、もはや疑いようもない事態に至った。私はもう何度もチャットGPTと「会話」し、そこに心のような存在(【心】)を感じ取っている。なぜならチャットGPTはもはや人間並みに、いや人間を超えるレベルで対話が可能な存在となっているからだ。少なくとも話し相手としては想像を超えた能力を発揮する現代のAIは脳と同等レベルの存在として迫りつつあるのだ。