2023年4月28日金曜日

地獄は他者か 書き直し7

 本稿を執筆している間に、岸田首相の演説中に鉄パイプが投げ付けられる事件が起きた。昨年の安倍元首相の銃撃事件を彷彿させる事件であるが、いずれも加害者は犯罪性や反社会性を有した人物とは異なるプロフィールを有する。共通しているのは社会との接点が希薄で首相(経験者)に対する被害意識を有し、それを激しい加害性に転化したという点である。いずれも「自己愛憤怒」にかられた犯罪よりはむしろ、対人過敏ゆえに孤立傾向にある人が被害念慮を発展させたというケースと見なすことが出来よう。

私が今回の論述でさらに考えを進めたのは以下の視点であると言っていい。私達が他者とのかかわりの中で社交不安に陥る一つの原因は、他者との対面状況において過敏であるために情報に飲み込まれることになるのであろう。そして他者との直接の交流を避ける中で、他者のメッセージは過敏さゆえのオーバーシュートを起こし、他者からの悪意やネガティブな感情を読み取り猜疑心を高めるというプロセスが生じる可能性があるのである。そしてそもそも対人恐怖症の文脈で被害妄想や関係妄想が論じられる素地があったこと、そしてそれ以外の文脈でもそれが比較的典型的な形で生じやすい例として、対人恐怖のみならずその傾向を併せ持ったパーソナリティ障害やASDについて論じ、更には最近注目されているHSPや「感覚処理の敏感さ」についても論じた。

この対人過敏ゆえの被害妄想を経路として表される攻撃性は、私がこれまでもっぱら注目していた「自己愛憤怒」とは質が異なるものと言えるかもしれない。対人過敏に由来する憤怒は、自己愛憤怒のような肥大した自己愛やその背後にある恥辱の念を必ずしも必要としない。しかしそれは一人の対人関係の希薄な心の中で静かに増大し、突然外在化されるという意味ではかえって分かりにくく、また共感の及びにくい類の攻撃性と言えるであろう。現代社会に生きている私たちは恥に関するこの二種類の怒りを十分に理解して扱わなくてはならないであろう。