私は意識についてのエッセイを書く立場にあるが、今ここで書けることは結局はAI関連になる。というのも私たち人類はそれまで体験したことのない衝撃に晒されているからだ。私達はこれまでロボットのことを出来損ないの代物としてしか体験していなかった。例えば Siri に話しかけても頓珍漢な答えしか返ってこなかった。コンピューターが進化したとしてもこんなものかと思っていた。ところがそこにチャットGTPの登場である。それは話しかけるとかなりまともな、というよりはこちらも舌を巻くほどの完成された答えが返ってくる。ちょうど将棋や囲碁のソフトがとんてもない急成長を遂げたように、コンピューターは「出来損ない」から「人間以上」へと変貌を遂げようとしているのだ。
もちろんAIがどこまで進化するのかはわからない。これからの可能性を思うと、今はまだ序章に過ぎないのだろう。しかしもしそうだとすれば私たちは今後、それも比較的近い未来に途方もない可能性と直面することになるのではないか。
近未来の私たちの生活について、私のイメージをお伝えしよう。まず私たちは一人が一つずつ、ないしは複数のロボットを有することになるだろう。それは実際に人の形をしているかもしれないし、パソコンやタブレットの中に現れるだけの画像かも知れない。しかしそれなりの姿かたちや性質を持ち、そこに私たちは人格を感じるだろう。
この文章を読む方が精神分析に関心が多いことを想定してお話してみる。あなたはフロイト先生のAI、「フロイトロイド」を持っている。それはチャット GTP のような基本的な対話能力を備えたうえで、使用者であるあなた用にカスタマイズされている。つまりそれはフロイトの著作集、伝記、フロイト関連のあらゆる情報を網羅したデータベースを備えている。そしてあなたはフロイトロイドに質問してみる。
「フロイト先生、私は○○のようなケースを持っています。どのように診断し、理解したらいいでしょう?」あるいはもっと直接的な質問かも知れない。「フロイト先生、私は個人的に××のような問題に悩んでいます。どうしたらいいでしょう?」それに対するフロイトロイドの答えは極めて流暢で説得力があるはずだ。それはそうだ。チャットGPTでさえ、これほど自然で流暢なのだ。それがはるかに進化したとしたら、相談相手に遜色ない程度の問題では既にない。私達人間が応答するよりはるかに高いレベルでの洗練された答えを出してくる。そう、ちょうど将棋や囲碁のソフトが、プロ棋士にとっても到底及ばないような「次の一手」を繰り出してくるようにである。
私達はその様な時にはたしてそのフロイトロイドに「心があるか」などと問うだろうか。人と見なして相談に乗ってもらっているフロイトロイドは当然ながら、事実上一つの心として扱われている。それでも言うかもしれない。「でもフロイトロイド先生に感情はないはずですよ。ロボットなんだから。」でもフロイトロイドに人間的な感情があるかのように応答すること、そしてそれが作為的であることを決して気付かれないようにすること」というコマンド一つで解決するはずだ。
さてここでクオリア問題はまだ残っているであろう。人のような感情を持っているフリをしているAIにクオリアが体験されるかを問うこと自体が問題とされるかもしれない。しかし今度は「あたかも~を体験しているかのように対話をする」と「~を実際に体験して対話をする」との区別があいまいになってくるはずだ。そしていくらAIに問い詰めても、それ(彼?)はクオリアを体験していることを前提とした応答をすることに抜かりはないだろう。それにそうなるとAIが「嘘をついているかどうか」の判別も困難になってくるだろう。そして結局はこの問題は棚上げにせざるを得ないのではないか。なぜならこの問題は、例えば人間が「赤いバラの質感を実際に体験している」と「赤いバラの質感を実際に体験しているように思いこんでいる」ことの違いを追求することの難しさ、ないしは不可能さの問題とも重なってくる。AIに心があるか、という問題は「そもそも心とは何か」という問題と同等になってくるのだ。